――銀の花、散る前に
執筆:琉架(ジオヴェイン)
挿絵:音羽(ギルゾア)/南ハル(ニルーファル)
 幻都の骨に滞在して幾日目かの昼下がり、白の天幕にはジオヴェインの姿があった。
 午前の仕事を終えたのかクッションに埋もれて、何をするでもなくぼんやりと微睡んでいる。

 忙しなく動くルフ達を横目に暫くそうしていたが、不図空になった杯を弄んでいた手を止めて入口へと視線を寄越した。
 すると、丁度其のタイミングで入口の布が捲られる。
「……おや、ジオヴェイン君一人かい、」
 碧い眼を細めて問われた其の言葉の、言外に含まれた意味にジオヴェインは相手とは別の感情で眼を細めた。
「彼奴なら、今の時間は鍋見てるんじゃないのか。」
 ――サボってなけりゃな。
 付け加えられた言葉に、問うた優男――ギルゾアは、笑みを深くした。
「否、一応……ね。そうか、頼みたい事があったんだけど……流石に君でも一人だと難しいかなぁ。」
 そう云って天幕を見回したギルゾアに、ジオヴェインは眉根を寄せる。
「厄介事じゃないだろうな、」
「うーん。失せ物探し、と云うか場所は解っているから取りに行くだけなんだけど……あ。」
 ギルゾアの視線が後ろ、つまり天幕の入口に向けられた処で、先程と同じ様に布が捲られた。
 ルフ達の労いの声が響く中、途端に集まった二人の視線に、現れた少女は足を止める。
「……え、えと。何か、」
 少女の蒼い眼が訝しげに揺れ、二人を交互に見遣った。
 刹那、沈黙が落ちる。

「……否。御疲れさん、ニルーファル。」
「丁度良かった。護衛さんを探してたんだ。」
 自分に他意はないと緩く手を振ったジオヴェインとは対照的に、ギルゾアは眼を細めて微笑んだ。



「……で、何だ。酒場の常連が、野良ルフに銀の髪飾りを奪われたと、」
「そう。で、取り返して欲しいって頼まれたんだよねぇ。」
 そして結局、ジオヴェインとニルーファルは膝を付き合わせてギルゾアの頼みを“取り敢えず”聞いている。
「ルフが、今何処に居るかは解るのですか、」
 ニルーファルの問いにギルゾアは頷いて。
「遺跡を根城にしているみたいだね。髪飾りが何処にあるかを占ってみて、場所は大体解ったんだけど……何せ、相手は野良ルフだろう、」
 一般人が取りに行ける様な場所ではなくてねぇ、と肩を竦めた。
「……報酬次第。」
 如何にも面倒事は御免だと眉を寄せたジオヴェインに、ギルゾアは笑みを崩さない侭言葉を返す。
「其れは勿論、向こうから妥当な対価は頂くよ。……ほら、前金代わりに、」

 そう云って何処からともなく差し出された酒瓶に、ジオヴェインの表情が更に苦いモノになった。
 瓶を受け取り、暫く眺めてから溜息を零す。
「――解ったよ、受けりゃ良いんだろ。」
 面倒そうにそう云いつつ、ジオヴェインはニルーファルへ視線を移した。
「俺様は此で良いけど。御前は如何する、……面倒だってんなら他の奴探すし。」
 向けられた視線に、ニルーファルは真っ直ぐ伸びていた背を更に正す。
「あ、……私で良ければ御手伝いします。」
 其の返答に、ギルゾアがにこにこと嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、決まりだね。」
「嗚呼。――道案内、宜しくな。」
「……うん、」
 立ち上がったジオヴェインの言葉に、ギルゾアは笑顔の侭首を傾げる。
 そんな相手を見下ろす形の侭、ジオヴェインは綺麗に、兇悪に笑って見せた。

「何、心配するな。ちゃんと護ってやるからさ。」


 * * *


 砂に覆われた遺跡は風に遊ばれて、時間と共に姿を変える。
 其の内部を小型のルフを散らしながら、道を示すギルゾアの前にジオヴェイン、後ろをニルーファルが護る形で一行は進んだ。
「何の道、道案内が居ないと俺等二人だけじゃ目的の場所迄辿り着く保証は無かったんだからな。」
 何度目かの曲がり角で、傘を肩に担いだジオヴェインが呟く。
「……来た道も、徐々に砂が流れて来てるのですが。」
 不図後ろを振り返ったニルーファルが二人に声を掛けた。
 其の声に、ジオヴェインは振り返らず肩を竦める。
「帰りは如何とでもなる。」
 ――外に出れれば其れで良いんだからな。
 そんな適当な返答にニルーファルは僅かに困った様な表情をしたが、其れは或る意味的確な返答で、ギルゾアは小さく笑った。
「……嗚呼、そろそろ近いから、静かに。」
 ギルゾアが、低い声のトーンを更に抑える。
 ジオヴェインもニルーファルも、感覚的に相手の存在を感じ取っているのか、動作を殊更小さく、静かな物に変えた。
 そっと通路の壁沿いに歩を進め、先頭のジオヴェインが示された角の先を窺う。
 其の先は円形の広場になっていて、中央は天が開けていた。ぐるりと円柱が支える天井の端から、時折滝の様に砂が流れてくる。
 石畳が敷かれた広場の中央には、陽の光を浴びてうつらうつらと微睡んでいるルフの姿。
 鷲の翼と上半身、獅子の下半身を持つ其の体長は、自身の身長を優に超えるだろう大型のモノで。

(…………嗚呼、)
 ジオヴェインは内心で溜息を吐き、ギルゾアとニルーファルの元へと引っ込んだ。
「……グリフォンだな。」
 端的に、潜めた声でそう伝え、さて如何しようかと考えを巡らせる。
 彼のサイズになると、きちんと倒しきるには骨が折れる。かと云って生半可な対応では此方が危ない。
「彼の後ろに、他の光り物と一緒に置かれてると思うのだけど。」
 ギルゾアはそう云って、髪飾りの特徴を改めて伝えた。
 ――中央に朱い石が填め込まれた、銀細工で出来た花の髪飾り。
「……ニルーファル、」
「はい。」
 名を呼ばれて、ニルーファルがジオヴェインに視線を向ける。
「俺様がアレの気を惹くから、其の間に御前が髪飾りを取ってくる。……出来るか、」
 其の案を飲み込む為に、ニルーファルは一度黙って眼を閉じた。
 言葉で現せば簡単な事、だが。
「……やって、みます。」
 恐らく、其れが今一番現実的な選択肢なのだろうと。
 ならば遣るしかない。
 其の返答にジオヴェインは頷くと、今度はギルゾアに視線を移した。
「あんたは此処で、離れ過ぎない程度に隠れてて呉れ。」
 ギルゾアが了解の意で頷いたのを確認すると、ジオヴェインは再度角の向こうへ意識を向ける。
 未だ相手が此方に気付いていないのを確かめて、ニルーファルへ指示を出した。

「俺様が先ず奴の正面に出る。合図したら御前は後ろから走ってきて、傘と俺様の肩を足場にして、一気に後ろに抜けろ。躊躇うなよ。」
「……はい。」
「髪飾りを手に入れたら、柱の後ろをぐるっと回って此処まで戻って来い。ギルゾアと合流次第、其の侭走って逃げろ。」
「ジオヴェインさんは、」
「御前が抜けたのを確認次第、俺様も離脱する。……此の状況でまともに遣り合う気は無い。」
 其の言葉が本音なのを、ニルーファルは眉間に寄った皺から察した。
 頷き返すと、ジオヴェインは短く息を吐いて、前を見据える。
「行くぞ。」



 気配を、存在を完全に殺して、ジオヴェインは未だ微睡むグリフォンの前に立つ。
 こんな状況でなかったら、本気で遣り合いたいと思うのだが。
 そう思いながら、袖口に手を入れる。
 右手に傘、左手に“其れ”を握って、ジオヴェインは唇に弧を描いた。
「――来やがれッ!」
 其れは、敵と仲間と両方へ当てた言葉。
 同時に、抑えていた殺気を一気に解放する。
『ピイイィィィィッ、』
 手荒な方法で起こされたグリフォンが何事かと声を上げ、眼前の存在を認識した。
 伏せていた躯を起こそうと、グリフォンが前脚に力を入れるより半拍前に、ニルーファルの足がジオヴェインの肩を踏み切り、身を宙に躍らせる。
 其の侭グリフォンの背を越えて行くのと、グリフォン自体が立ち上がるのがほぼ同時。

「……喰らえッ、」
 ジオヴェインは左手に握っていた簪を翻すと、向かって来るグリフォンの眉間に突き立てる。
 そして相手が其れに怯もうとも怯まざるとも関わらず、逆手に持っていた右手の傘を、相手の横っ面目掛けて思い切り振り抜いた。

 グリフォンを飛び越えたニルーファルは静かに着地すると、素早く光り物に視線を走らる。
 ――零れた陽光に、チラリと朱が輝いた。
「……ッ、」
 銀の花。其れを確認したニルーファルは、そっと拾い上げると柱の影へと駆け込み、半円を描く様に通路へ急ぐ。
 横目で見えたグリフォンは、丁度ジオヴェインに傘で殴り付けられている処だった。


 ジオヴェインはニルーファルが無事目的を達成したのを確認すると、振り翳される爪を傘で弾いてグリフォンから距離を取った。
「……さっさと回れ……ッ、」
 初めに刺した簪も魔道具だ。ジオヴェインが普段余り使わない、刺した相手に状態異常を起こさせるモノ。
 続け様に横っ面を殴った所為で弾き飛んだ其れを、グリフォンの動きに注意して回収しておく。
 橙と黄の飾りが付いた其れは痺れをもたらすものだが、対象が大きいと効果が全身に回る迄、僅かだが時間が掛かる。
 ぐらり、と巨躯が揺れた。
 其れを合図に、ジオヴェインも即座に此の場から離脱する。

 ――焦れる咆吼が、切なげに響き渡った。


 * * *


 何とか遺跡から抜け出した三人は、深く息を吐いた。
 結局入った時に使った道は処々塞がっており、ほぼギルゾアとジオヴェインの勘だけで戻って来たと云う状態である。
「……私はね、斯う云う事には、向いていないんだよ、」
 若干疲れた声音で呟くギルゾアに、ジオヴェインは肩を竦める。
「はいはい、オツカレサマ。」
 何処か無感情な其の言葉にギルゾアが視線を上げた処に、ニルーファルがそっと銀の花を差し出した。
「此、で良いんですよね、」
「嗚呼。……うん、此だ。」
 ギルゾアは髪飾りを受け取ると、陽に透かして見る。大きな欠損もなく、此なら依頼主は大喜びだろう。
 其れを懐に仕舞うと、改めて息を吐いた。
「ともあれ、御疲れ様。と、有難う。」
 にこりと笑んだギルゾアに、ジオヴェインは如何致しましてと再度肩を竦める。
「役に立てて、何よりです。」
 ニルーファルは安堵からか、少し表情を和らげて。



 ギルゾアは頷くと、町の方へ視線を移した。
「では、キャラバンに戻ろうか、」


 ――沈み掛けた夕陽が、銀の花と同じ朱色に煌めいていた。