願いの泉
執筆:明梨(アイリーヤ)
挿絵:ずら(アルハー)/英治(マメ)
 白み始めた空の下、長い夜警の終わりにやれやれと年寄りがかった動作で肩を叩くジンが一人。
姿こそ十代の少女だが、実際年齢はそれを十倍にしてもまだ足りない。
ジンに年齢はさほど関係がないから、どれほど年を重ねていようと外見年齢と精神年齢はほぼイコールで結んで問題がないのだが。
彼女、アイリーヤは殊更年寄りらしく振舞う傾向があった。
交代要員の護衛達が集まり始めたのを見て取ると、後は任せたとばかりにあっという間に姿を消してしまう。
今日もある程度の人員が揃ったのを確認すると同時にさっさとその場を離れる。
咎められても年寄りに楽をさせろというばかりで話しにならないのでは、もはや誰も彼女に苦情を申し立てようともしないだろう。
その背中を呼び止める者はいなかった。

「邪魔するぞ。アルハー、いるか?」
仮眠前にふと立ち寄った天幕には小柄な男が大小様々な瓶に囲まれて座っていた。
「何だよ、不機嫌そうだな。夜勤明けか?」
飲料商人アルハーは他の客の相手をしていたようだが、話は終わっているのかこちらに顔を向けてきた。
特に親しいというわけでもないが、客として顔を覚えられる程には付き合いがある。
それにしても表情の出難いアイリーヤの機嫌まで読み取れる者は多くない。
現にアルハーの前に座っていた少年はほぼ無表情のアイリーヤを見て、怪訝な顔をしたくらいだ。
「ああ、これから寝ようかと思ったんだが常備している酒が切れていたのを思い出してな。
 何か手頃な奴を頼む。あ、その酒はごめんだぞ。匂いがきつすぎてマリーヘに怒られた」
アルハーの手が幾何学模様の描かれた瓶に伸びたのを見て、アイリーヤが眉をしかめた。
「なんだ、この前の異臭騒ぎはお前のとこだったのか」
「封をしっかり閉めても一回開けたら天幕中に匂いがついた。私のいない間に尋ねてきた奴が昏倒したので大騒ぎだ」
こんこんと世話役に説教された記憶が蘇ったのか、アイリーヤは憮然とした表情を浮かべ、アルハーは楽しげな笑い声を上げた。
「あのゲテ酒真顔で飲めるのお前くらいだからな、在庫処分にそのうちまた協力してくれや。
 酒はその辺りに並んでるから適当に選んでくれ」
アイリーヤが指し示された一角に目を向けたのを確認し、アルハーは目の前に座っていた少年に再び視線を戻した。
 きちんと正座している辺りに真面目さを感じさせる少年は、目線を向けられてさらに背筋を緊張させた。



アルハーはその様子を見てにやりと笑うとおもむろに小さな瓶を手に取る。
手のひらに乗ってしまうほどの瓶は飲料というよりも香水のそれに見えた。
「いいか、このキャラバンの中に俺の知る限り一人だけその泉出身のジンがいる。
 お前がぶちまけたこいつの中身を確実に元に戻せるのはそいつだけ。そいつを探し出してこいつを元通りにしてこい」
アルハーが少年に星を象った蓋のついた瓶を手渡す。どこかで見た記憶にアイリーヤは首を傾げたが、受け取った少年は真面目な顔をして頷くと、ぱっと天幕を飛び出して行ってしまった。
「今のは見習いの…あー…」
「マメって奴」
そうそう、と頷きながら瓶を見比べる。
「で、マメ少年にお前は何やらせるつもりなんだ?」
いくつか選んだ酒瓶を手に尋ねると、小柄な商人は事も無げに答えた。
「ああ、星が見えるって泉の水を入れた瓶をあいつがひっくり返してな。弁償するって言い出したんだが、ありゃああいつの手持ちひっくり返しても買えねえ様な高級品だ。
 で、解決法を教えたって訳さ。あ、銀二枚な」
しかし差し出された手にいつまで経っても銀貨は置かれない。代わりにあきれ返ったような表情でジンはため息をついた。
「私の記憶では、そんな高級品ではなかったはずだが?」
「まああれを売ってる街ではそうかもな。でもこの辺りでは願いを叶える泉の水っていやあ、気前のいい金持ちはほいほいと買ってくれるもんさ」
肩を竦める商人。
「まあ私としては買った奴がどう扱おうと関係がない、と言いたいところだが…この隊商に件の泉のジンがいると、良く知っていたな?」
「まあこういう商売してるとな、情報は大事なんで」
けけけと人の悪い笑みが返って来た。
「しかしこの隊商だけでもジンはかなりの数居るぞ。水属性のジンに絞っても総当りで…可哀相に見つかるかな?」
言外にもうちょっとヒントをやれと苦情を入れるが…
「どこにいるかわからず捕まり難いって評判だしな」
あくまでにやにや笑いを崩さない商人にやれやれとアイリーヤは溜息をついて、懐から銀貨を一枚だけ出した。
「銀一枚分は泉のジンへの依頼料って事で」
「あー? お前には無関係だろ?」
受け取りはしたものの不満顔のアルハーに、今度はアイリーヤがにやりと笑ってやる。
「お前の事だ、どこぞの街の富豪に売りつける際に泉の巫女から直接もらったとか言うんだろう?
 それを本当にしてやるんだから銀一枚くらいで騒ぐな」
ちえー、と悪態をつくアルハーを残して天幕を出た。

 とりあえず一眠りしてからにしよう、とまずは自分の天幕に向かうつもりだったが…何の因果かそういうときに限って目的の人物には直ぐに会えてしまう。
恐らく勢い良く天幕を出たものの、想像以上に難しい事に気付いたのだろう。途方にくれた顔で立ち尽くしていた。
すぐに冷静な判断に至れる辺り頭がいいのだろう。さて、どうしたものかなと考えるが用事はさっさと済ませて寝るに限る。
そう決めるとその背中に声をかけた。
「おい、マメ」
唐突にかけられた声に少年は飛び上がらんばかりに驚いて振り返る。
その場に居たのが永遠のベンチウォーマーと公言して憚らず、よっぽどの事がなければ動かないと評判のジンだった為、これは頼りにならないとがっくりと肩を落とした。
当の本人はそんな態度には慣れっこの為、全く気にせず続けた。
「お前、星泉のジンを探してるって?」
「そうですけど…ご存知なんですか?」
意外だという顔に苦笑する。
「まあ、な。ただ、あいつは自分の素性が人に知れるのを好まない。
 恐らく聞きまわっても誰とははっきりわからないだろう。私はそれなりに懇意にしてるんでな。瓶を預けてくれればもらって来るが?」
「はあ…いや、でも…」
言いよどむ少年。
「俺の失敗でご迷惑をかけるわけですし…直接会ってお礼とお詫びを伝えるのが筋だと思うんです」
「まあ確かに」
この時点で十分その意思は伝わっているのだが、マメにわかろうはずもない。
彼の言い分は確かにその通りで、責任感と自責の念から来る言葉ではあるのだが、それだけでもないような…?
どうにも彼にはそのジンを是非見て見たいという意思があるように思える。
もちろん自分の失敗を埋める形で力を貸してもらうのだから、直接お礼とお詫びが言いたいという気持ちもあるのだろうが…
「参考までに聞くが。お前はそのジンをどういう奴だと思ってるんだ?」
好奇心から尋ねてみると、予想の斜め上の返答があった。いや、人間としてなら予想通りの反応なのだろうか。
「そりゃもう、女神の作られた泉から生まれたというジンですから! きっと女神のように神々しく、たおやかで美人で優しくて上品な方なんでしょう」
「…そうか」
きらきらとした理想を語るマメの姿に、アイリーヤはそう言う事だけが精一杯だった。
ジンは女神を信仰しないし本来関係を持たぬものだが、やはり生まれの所為か過剰に美化されているようだ。
さて、どうしたものか。アイリーヤは考える。彼女が知る泉のジンの姿はあまりにも少年の想像とかけ離れている。
とはいえここで理想を木っ端微塵にするのもいかがなものか。さぞ落胆するのだろうなと思うと正直に教えるのも忍びない。
子供の夢は夢のまま美しく残してやるのも大人の務め。やれやれ、これはどうしても『泉のジン』に出てもらわねばならないか。
覚悟を決めるとわかったわかったと手を振る。
「では会えるように算段をつけよう。場所はアルハーの天幕。素性が知れるのをあいつは嫌うからな。
 時間は夕飯が終わって…そうだな、一時間もすれば皆自分の天幕に帰るだろうからその頃来い。
 くれぐれも名前や顔を確認しないでくれよ」
「はい、それはもちろん! ありがとうございます、えっと…」
顔は知ってはいてもとっさに名前が出てこなかったのか、良いよどむマメを見てああ、と肩越しに手を振る。
「アイリーヤだ。リーヤでいいぞ」
「ありがとうございます、リーヤさん」
マメと別れ、天幕の影で少年の姿が見えなくなっているのを確認し…アイリーヤの表情は見る見るうちに渋面になった。
「さて、まずは染料を手に入れないとな」
染料を扱う商人はどの天幕だったか。その後暫くうろうろと隊商内を歩き回るのだった。

 夕飯に集まっていた隊商民達もそれぞれ食事を終えて、自分達の天幕へと帰っていく頃。
マメの姿は約束の時間よりずっと早くアルハーの天幕前にあった。
天幕の主は既に帰ってきているようで、中からは灯りが漏れている。
時折話し声も聞こえてくるから、灯りだけを付けっぱなしにしているという事はないだろう。
もしかしたら全く関係のない客かもしれないと思いながらも、ひょっとしたらもう来ているかもしれないという好奇心も抑えきれず、そっと天幕の中を覗いた。
「お、予想通り時間よりずっと早く来たな」
中には天幕の主のアルハーともう一人。体つきから女性とわかる人物が座っていた。
「お話では商品をダメにしたという事に随分責任を感じていらしたという事でしたから。居ても立ってもいられなくなると思いましたの」
小さく笑う顔は殆どがベールに隠れて見えないが、紅を引いた唇や声から女性だとわかる。

「ま、お前も座れや。瓶は持って来たか?」
「はい、もちろん」
割れないようにと厳重に布に包んだ瓶を取り出して見せる。
「あらまあ、ずいぶん厳重なのですね」
「俺にとっては外の瓶も商品だからな」
「くれぐれも傷をつけるなと言われたもので…」
本来中身の水よりは外の瓶の方が価値があるものなのだが、知っているのはジンと商人だけ。
少年は中身の水に実際はほとんど価値がないなどとは知らないだろう。
そこらのオアシスの水を入れたとしても、外側の瓶が本物ならば中身まで疑う者などいない。
真面目な少年は思い浮かびもしなかったのだろうが、それを見越した上でアルハーがわざわざこの依頼をしたのだとしたら、気の毒なことこの上ない。
子供には甘いなとジンは内心自嘲しながらも瓶を受け取った。
マメ少年は食い入るように、アルハーもそれなりに興味深そうにジンの一挙一動を見守っている。
幾重にも腕につけた腕輪を慣らしながら、瓶の上に持ち上げた右手の手のひらを開く。
瞬きする間にその手の上で水が渦巻き、水を司るジンの能力で制御された小さな流れは、一滴も零れる事なく乱れる事なく。
きらきらと光を反射しながら瓶に注がれていく。
瓶自体も採光の細工がしてあるのか、瓶の内部で金色の粒が舞っているようにも見えた。
星を象った蓋をしっかりと閉め、駄目押しとばかりに飾り紐で固定する。
「これでよろしいですね?」
ジンの手からなみなみと水の入った瓶を手渡され、確かに、とアルハーは呟いた。
そして少年に向かっては。
「ごくろーさん。これで依頼は達成だな」
ほっとした表情のマメに良かったですねと笑うと、とても恐縮しながらお礼を言われた。
「どうぞお気になさらずに。でも私の素性は伏せておいてくださいね」
とクギをさしてからではそろそろ…と立ち上がろうとしたのだが。
「もしよろしければ、貴女の街について教えてくれませんか」
隊商も滅多に近寄らないような小さな街。大きな産業も目立った工芸品もあるわけではなく、精々何百年と続く祭りが十年に一度開催されるというだけの街ではあるが、やはり少年にとっては何かしら魅力的に見えるのだろうか。
好奇心一杯の顔で聞かれてはまた今度、と逃げるわけにもいかず…
「ま、ゆっくりしてけや。俺も仕入れ元の話は良く知らねぇしなぁ?」
少しだけ助け舟を期待した天幕の主にまでそう言われてしまっては孤立無援。
諦めて短くない時間を演じ続けなければならなかった。

 マメが帰った後の天幕で、泉のジンは被っていたベールを放り出してぐったりと伸びていた。
あの後何だかんだで質問攻めにされてしまい、ボロを出さないように必死になっていた。
時折アルハーからも意地悪な質問が飛ぶので、アイリーヤの背から冷や汗の筋が途切れる事などない。
ぐったりしているその隣で大声で笑い出さないように抑えてはいるが、明らかに笑いの発作をこらえているアルハーが途切れ途切れの言葉を搾り出した。
「お前…案外子供に対しては付き合いいいのな」
「…同じ立場になってみれば付き合わざるを得ないとわかると思うぞ」
あれだけ盛大に普段の自分と正反対のイメージを子供に語られて、にこやかに裏切れる奴が…いるだろうが少なくともアイリーヤには無理だった。
起き上がると首や腕を飾っていた宝石をむしりとる。
服装は全く平素のままスカートに見えるように布や腰布を巻きつけただけ、宝飾品を増やしてベールを目深に被り、普段はあまりしない化粧をしているが、良くもバレなかったものだ。
無論灯りを少なめにして天幕内を薄暗く見せたりと言った小細工あってこそだが、もし相手が自分が偽者だと最初から疑ってかかっていたらあっという間に看破されただろう。
さらによほど急いでいたのか、紫に染まった髪は良く見れば所々斑になっている。
心底相手が真面目で曲がったところのない子供で良かったとアイリーヤは安堵した。
「しっかし、ああいう態度も取れるんだな、お前」
呆れているのか感心しているのか。その顔を見るのもシャクなのでアイリーヤはアルハーに背を向けたまま。
「口止め料混みで追加料金、請求するからな」
とだけ答えた。