雨の踊り子


執筆:ティスア(あざな)
挿絵:ザズー(桃李)・イザーバ(辻堂庵)・アルハー(ずら)



 砂漠に、恵みの雨が降る。
 乾いた土の上に、木々や花々の葉に、人々に、優しくさらさらと、さらさらと……
「へっくしょい!!!」
「って、ちょっと! アルハーさん、気分が台無しですよ!!」
「うるへー」
 ターバンにカンザシ、緑の髪の茶葉商人ティスアのツッコミに、飲料商人のアルハーは鼻を鳴らした。
「だいたい、人んちの露店先で雨宿りしといて、文句言うんじゃねーよ!」
「それは感謝してますけどー」
 言いながらティスアは、アルハーの露店に並んでいる酒瓶を手に取る。
 瓶を透かせばその向こうに、砂漠ではとても珍しい雨の空が見えた。
「綺麗ですね……」
 常に乾燥し、砂埃の舞う旅路をラクダで移動するキャラバンの旅人達にとって、雨は貴重だし、恵みだ。
 太陽に照らされ続け、乾ききった砂の上に雨音がすれば、誰もが歓喜の声をあげる。
 もちろんそれは、キャラバンの立ち寄ったこの町の人々にとっても同じだろう。
 砂砂漠の中の、オアシスの町に降る雨。あまり見る機会もないので、皆、嬉しそうに空を眺めている。
「恵みの雨なのはわかるがな、煙草の葉が湿気る」
 ティスアの隣、同じく露店先で雨宿りしていた楽士のザズーが、愛用の煙管をすっと振って苦い顔をした。
「あーそりゃ同感だ」
「楽器の音も、いつもと変わるし」
 煙草の葉に火をうつしてアルハーがランプを向けると、ザズーもそこへ煙管を寄せた。

 2人の煙管からふわりと煙が立ちのぼり、独特の香りで踊った。
「もう、2人とも口が悪いんですから……」
 ティスアが呆れると、元々良いとは言えない目つきをさらに悪くして、アルハーは肩をすくめる。
「しかも、雨の日は飲み物が全然売れないときた。ったく、やってられねーよ。客かと思えば、雨宿りの茶葉売りと楽士だしよー」
「ふん、悪かったな」
「しょうがないじゃないですか、降ってきたとき、丁度アルハーさんの露店が見えたんですもん」
「うちは店なんだよ! 休憩用の天幕じゃねえ!」
 アルハーががなった時だ。
「ん? あの娘……」
「はあ、はあ! す、すみません、ちょっと失礼いたしますわ!」
「なんだよ、また雨宿りかよ……」
 げっそりした顔のアルハーを傍目に、ティスアは飛び込んできた少女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? ええと、確か見習いさんの……」
「え? あ、はい、イザーバと申します。あら、皆様同じキャラバンの」
「うん。偶然だねえ」
 屈託のないティスアの笑顔は、商人だからというわけではないが、親しみやすい。
 にこっと笑いかけると、黄緑色のロングヘアを2つに結った少女、イザーバも笑顔になった。
「雨は嬉しいのですけれど、いきなり降ってきたので……っくしゅん!」
「わ、平気? 結構濡れちゃってるね」
「おい、俺がくしゃみしたときと、随分反応が違うじゃねーか」
「イザーバちゃんの可愛いくしゃみと、アルハーさんのオヤジなくしゃみを一緒にする方がおかしいです」
「確かにな」
 さりげなく同意したザズーにアルハーがツッコミを入れる横で、イザーバは空を見上げた。
 雨が露店の屋根代わりの布を伝って、ぽたぽた落ちては水溜りを作っている。

 ちょっと失礼するね、とティスアがイザーバの髪をくるりと束ねてきゅっと絞ると、彼女の足元にも雫が絵を描いた。
「あっ、ありがとうございます。……でも雨、まだ止みそうにないですわね。どうしましょう」
「腹も空いてきた」
 袖の装飾の鈴をシャラリと鳴らして、ザズーも不機嫌そうに呟く。
「確か近くにバーがありましたよね。じゃあみんなで、そこへ雨宿りがてらご飯に行きませんか?」
 ぽん、と手を叩いてティスアが面々を見渡した。
「は? このメンバーでかよ?」
「雨だからか、お客さん来ないし。なら露店を片付けて、おいしいご飯っていうのも良いじゃないですか。ずっとここでぼんやりしてたら、みんな風邪ひいちゃいますよ」
「そりゃそうだけどよー。なんだ、ティスアのオゴリか」
「ちょ、誰がですかアルハーさん! そこのバーの料理が、おいしいって評判なんですよ。珍しいお酒も、扱ってるらしいですよ?」
 珍しい酒、の言葉にアルハーがぴくりと片眉を上げた。ティスアの提案に、ザズーとイザーバも顔を見合わせる。
 言っていることは、確かに納得がいくが……
「そうですわね……そうしましょうか。露店をまとめるの、お手伝いいたしますわ」
「ありがとうイザーバちゃん。ほら、アルハーさん、どの箱にしまえば良いですか?」
 ティスアに訊かれて、面倒そうな顔をしながらも、仕方ねえなあ……と渋々アルハーも店を片付け始めた。
 まあ大方、酒に心惹かれたのだろう。
「うん、4人でやればすぐまとまりますよ」
「俺は手伝うなんて言ってないし、行くとも言ってないぞ」
 眉根を寄せて、眼帯の片目でちらりとティスアを見るザズー。
「まあまあザズーさん、そう言わず。お茶、ご馳走しますから。あとご飯もご馳走しますから。アルハーさんが」
「てめーティスア! 何勝手なこと言ってやがる!! あ、おい、そっちの箱は重いからお前には持てねえ……」
「え?」
 アルハーが重いと指差した箱を、軽々と(しかも2箱)持ち上げて振り返ったイザーバに、3人はぽかんとした。




「ほんと、評判通りに美味しいですわね!」
 香草と一緒に香ばしく焼き上げられた鶏をもぐもぐとして、嬉しそうにイザーバが笑う。
 飲料商人、茶葉商人、楽士に見習い。バーの丸テーブルを囲む4人は、何とも珍しく不思議な取り合わせだ。
 ザズーは、なんで俺までと呟いてはいたが、空腹には敵わなかったらしい。
「うんうん! アルハーさん、そのお酒どうですか?」
「おー悪くねえ。俺も仕入れてみっかなー。おいイザーバ、そこのナッツの皿とってくれ」
「はい、こちらですわね。あら、いい香りですわ、何か香辛料が使われているのでしょうか」
「ん、スープもまあまあだ」
「美味しいですねえ。あ、ザズーさん、お茶のおかわりどうぞ!」
 普段はなかなか話す機会もないメンバーだが、共に食卓を囲んでわいわいやるのはやはり楽しい。
 ティスアやイザーバは元々よく話す性格だが、口の悪いアルハーやザズーも、こういった席がさほど嫌いなわけでもないのだろう。

 料理もうまく、バーは町の入り口にあるからか人の入りも良かった。
「しかし、こんな妙なメンバーで飯を囲むことになるとはな」
「あら、私はとても楽しいですわ! 雨の与えてくれた機会に、感謝したいと思います」
 チーズナンを食べやすいサイズに千切りながら、イザーバは機嫌よく言った。
「ほんと、雨のおかげかな……そうだ! そういえば私、面白い話を聞いたんですよ!」
 トマトのサラダを口に運んでいたティスアは、ぱっと顔を上げた。
「雨の日に現れる、不思議な生き物の話」
「不思議な生き物?」
「そうです。なんでもこの町に、雨の日になると見たこともない生物が現れるっていう言い伝えがあるんですって」
 砂砂漠の中にある町は、人々の心のオアシスであり様々なキャラバンも訪れる。
 そんな町に語られる雨の日の言い伝え。
「俺も聞いたな、その話」
 ザズーも相づちを打った。
「そいつは音楽が好きで、雨の日に演奏していると見られるとか何とか」
「まあ、ロマンチックですわね! おとぎ話みたいですわ!」
 白い酒の入ったカップを回して、アルハーはへっと笑った。
「どーせ、雨が降って調子の良くなった水のジンか何かがフワフワ飛んでンのを、見間違えたりしてんだろ。雨なんて珍しいからよー」
「ちょっ、アルハーさん、夢なさすぎですよ!」
 ティスアが肘で小突く。
 確かにジン自体が不思議な存在ではあるが、アルハーの言い方では夢もへったくれもないではないか。
 聞きながらザズーは、気に入っている茶を飲んだ。
「水のジンってのは、やっぱり雨の日は調子が良くなったりするもんなのか?」
「どうでしょう? でも見て下さい、水のルフの瓶磨きちゃんは、何となくささやかながら気持ちばかり毛並みが良いような気がしなくもないと思えたり思えなかったり」
「ええ、大きな瞳も輝いて、降り注ぐ雨への憧れと感謝で爽やかにキラキラとしているように見えなくもないと申し上げられないこともないような」
「つまりいつもと同じってことだろーが」
「……」
「……そうとも言いますね」
 冷ややかなツッコミに半眼になりつつ、ティスアは、
「でも、素敵じゃないですか。砂漠の町に雨の日しか現れないなんて、見てみたいなあって思いません?」
「ま、そーだな。そんなに珍しいんならな。せっかく雨も降ってるし、お前演奏してみたらいいんじゃねーの?」
 アルハーが、ザズーの愛用の楽器にちらりと視線をやった。良く手入れの行き届いた、ハープである。
「素敵ですわ! ザズー様、どうぞ演奏して下さいませ」
「俺がか」
 ザズーは野菜のパスタを、ぱくと口へ入れた。どうやらこの料理が気に入ったようだ。
「もちろん。ザズー様の演奏を、私聴きたいです。楽士様って憧れますわ」
「うんうん、かっこいいよね! そうだ、イザーバちゃんも楽士を目指してみたら?」
「えっ?」
 見習いさんだし、目指せるんじゃない? というティスアの言葉にイザーバはきょとんとした。
「いや、どっちかってーとイザーバは踊り子だろ。スタイルとか良いしよ。人気出るんじゃねーか」
「まあ、そうだな」
 酒で気分の良くなったらしいアルハーが言うと、ザズーも軽く頷く。
 異国生まれだということもあり、イザーバは色が白くてスタイルが良く、碧眼で顔もなかなか可愛い。
 それを聴いたイザーバは、みるみるうちに頬を赤くし、
「も、もうっ、アルハー様とザズー様ったら!!」
「うえふっ!!」
「いっつ!!」
 彼女はとても乙女らしい仕草で、照れ隠しにパシンパシン! と2人の背中を叩いたのだが、そのパワーにアルハーとザズーはスープ皿に思いっきり顔を突っ込みそうになった。
「てめっ、何しやがるイザーバ!! モロヘイヤスープに熱烈抱擁する羽目になるところだったじゃねーか!!!」
「こ、この怪力女……」
「あっはっは、イザーバちゃんかっこいい」
 2人に睨まれるのを気にせずティスアが大笑いする横で、イザーバは慌ててお手拭きをアルハー達に差し出す。
「す、すみません、つい! でも知りませんでしたわ、お2人がそんなにモロヘイヤスープに愛情を感じてらっしゃったなんて」
「アホか、形容だっつーんだよ!!」
 わいのわいのと騒ぐ4人のテーブルに、酒のおかわりをトレーに乗せた店員が声をかけた。
「お客さん達もしかして芸人さんなのかい? これ、楽器だろう?」
「ん? ああ、まあな……」
 ザズーの椅子に立てかけられた荷物がそれだと、気付いたらしい。
「良ければ、店で何か1曲演奏してくれないかい。お代は少しサービスするからさ」
「よし、ザズー、演奏してこい」
「どんだけ現金なんですか、アルハーさん……」
 店員にねだられ、ザズーは茶を飲みながら少し考えるような顔をしたが、やれやれと楽器を持って席をたった。無愛想で口は悪いが、音楽に対してはとても真面目で、誇りを持っているのだ。
 店員やティスア達の拍手を聞きながら、バーの小さな舞台の椅子に座ると、ザズーはハープを奏で始めた。

 褐色の肌の、キャラバンの楽士。ザズーの指先から生まれるその音楽は、雨の雫の音にも似て、とても柔らかで綺麗な旋律。
「心地の良い曲ですわ」
 目を閉じてイザーバが呟く。
 賑やかなバーの店内に会話と音楽が広がり、誰もが食事を楽しみながらザズーのハープに聴き入っていた。
 外は雨、砂の町に恵みの水が空から降り注ぎ……
「……?」
 何気なく窓の外を見やったティスアは、何か不思議な影が見えた気がして目をぱちくりとした。
「鳥……?」
「あ?」
 アルハーがそれに気付いて、窓を見る。
 雨はまだ降っているが、何かが窓をすいと横切っているのだ。何やら、青い。
「ジン、でもないですわよね、ルフ?」
「街中に野生ルフかよ」
 アルハーは席を立つと、窓辺に寄って外を見て……目を丸くした。
「な、んだ、こりゃ?」
「え?」
 アルハーの声に気付いて、店員や客達も窓の外を見る。丁度数曲終えたザズーも、訝しげな顔をしてテーブルへと戻ってきた。
「何だ」
「何か外に飛んでいるみたいなんですけど……」
「ティスア様、ザズー様ご覧になって下さい!」
 開け放たれた窓や扉の向こう、しとしとと降り注ぐ雨の空の中を、透き通った不思議な生き物達が飛んでいる。
 それはまるで空を泳ぐように、すいすいと、舞うようにひらひらと。
 白鳥のような形だが、両手に乗るくらいのサイズで羽と尾の先は金色。翻る尻尾はある種の鶏のようにふわりひらりと長い。
 羽を羽ばたかせるというよりは風に乗っているような、金と青に透けたこんな生物を、ティスアも見たことがなかった。
「綺麗……!!」
「きっとティスア様が話していた、言い伝えの生き物ですわ……!」
 イザーバが窓から見上げれば、生き物の泳いだ空に雨の雫がキラキラと光る。
 アルハーは外へ出て、飛んでいるその生き物をじっと眺めた。半透明で景色が透け、まるで雨水で出来ているかのようだ。それなのに、どこか夢のようでフワフワとした生き物。
 捕まえてみようとアルハーが手を伸ばすと、すいっと逃げる羽が雨飛沫を飛ばした。
「つめてっ!」
「アルハー様、濡れますわよ」
 隣へ来たイザーバが、店で借りた傘をアルハーに差しかける。
 傘の上で戯れるように、彼らはひらひらと飛んだ。無邪気な子どものようで微笑ましい。ブルーの尻尾がリボンのように、雨の中に綺麗な弧を描いた。
 雨の砂砂漠の中、彼らの舞う空。
「ザズーさんのハープに惹かれたんですよ」
 不思議そうな表情で窓辺にザズーが立つと、1匹が寄ってきてその尻尾の先でザズーのハープの弦に触れた。ランと美しい音が響く。
「幻想的ですね……」
「そうだな……」
 砂漠に降る雨は、潤いと恵みを与え、また不思議な言い伝えの踊り子達は音楽と共に美しく舞う。
 アルハー達も、客達もみんな、空を飛ぶ彼らを見つめていた。


 綺麗な雨が、砂漠の街を歩く傘に降る。
「珍しい野生のルフか、何かのジンの魔法か、それともふざけた奇術師の仕業か」
 腕組みをしてアルハーは呟いた。
「不思議でしたね。どこへ飛んでいったのか、さらっといなくなっちゃいましたし」
 透明な生き物達はしばらく店の周りを舞っていたが、いつの間にかどこへやら飛び去り、皆本当に魔法を見せられていたような気持ちになった。
 何かの幻影だったんじゃないかとアルハーは目を擦ったが、隣で嬉しそうにしているイザーバも、窓辺で空を眺めるティスアやザズーも、客や店員達も確かに彼らの舞を見ていたのだ。
「言い伝えの何とかなのかは知らんが、捕まえてみりゃあ良かったぜ。希少価値とか」
「何言ってんですか、アルハーさん!」
 にたりとしたアルハーの背中をティスアが叩く。
 ふうとザズーは煙管から煙を吐き出した。
「何だったんだかな」
「何でも構いませんわ、本当に素敵でしたもの」
 イザーバはにこりと微笑んだ。
「皆様と食事をご一緒出来て、しかもあんなに綺麗な言い伝えの生き物を見られて。みんな、雨のおかげですわね」
「そうだねえ」
「それは良いけどなあ……なんで俺がザズーと1本の傘で歩かなきゃなんねーんだよ」
 アルハーは面々を睨みつけた。
 傘は2本。ティスアとイザーバが1本の傘を差し、そしてアルハーはザズーと。
「男同士で相合傘って何の罰ゲームだ」
「ほんとにな」
 傘を片手にザズーも仏頂面だ。
「せっかく傘を借りたのに、我侭言わないで下さいよ。良いもの見せてもらったって、お店の人が貸してくれたんですから」
「なら人数分貸せってんだよ」
「まあ、雨用の傘は珍しいですものね」
 困ったような笑顔で、イザーバは笑う。
「あー、アルハーさんてばイザーバちゃんと相合傘したかったんでしょー」
「まあアルハー様、そうなんですの?! あ、それでしたら私、アルハー様をお姫様だっこいたしましょうか」
「良かったな、してもらえ」
「あーのーなー」
 まったくありがたくなさそうなアルハーに、笑顔のティスア、明るく話すイザーバ、煙管を銜えてにやりとするザズー。

 砂漠に、恵みの雨が降る。
 乾いた土の上に、木々や花々の葉に、人々に、優しくさらさらと、さらさらと……
「砂漠の雨はやはり、素敵ですわね」
「酒は売れねーけどな。何か雨の良い商売ねーかなー」
「演奏は雨でも出来るからな。楽士になるか、それとも踊り子にでもなればいいんじゃないか」
「あははは! いいですね、アルハーさんの踊り見たいです!」
「うるせー!!!」




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