幻の川


執筆:ザビエラ(蓮花)
挿絵:ファジュル(えるみ灑羅)・バッサーム(菅李人)・サイランス(マサムネ)



 時は雨期。年に数えるほどしか雨の降らないこの砂漠でも、雨が待たれる今日この頃、そんな中、とある呪術師の一言で、それは確定した。
「降りますね」
 その時、天幕の隅で砂をいじっていた少女は、この人がこんなにきっぱり断言するのは珍しいなと思いつつ、顔を上げた。
「雨?」
「まあ、雨以外のものが降ったら怖いでしょうね…槍とか」
 くすりと笑いながらその人―バッサームは言った。
ザビエラは、うん、まあそうだなと、とある護衛の大きなヤリをぼんやり思い出した。あんなの降ったら、死ぬ。

「そういえばこの辺りに」
 ゆるりとあごを撫でながら、バッサームは言った。
「橋がありましたね…」
「橋か…」
 そういえば、このオアシスに来る途中、見かけた気がする。砂漠の中にあるこういった橋は、時折降る雨の雨水によって作られた川の名残である。
雨水の川は「サイル」と呼ばれ、砂漠の日照りの中では長くて2,3日、時には1日で干上がってしまう。故に、幻の川と呼ばれ、
サイルを見たものには幸運が訪れると伝えられている。
つまり、バッサームは遠回しにこのサイルのことを言っているのだ。
「…見たいと思いませんか?」
「見たい!!」
 珍しい物好きのザビエラは、即答した。
ただ見に行くだけならいいが、しかし、問題もあった。
雨水の川が干上がった跡のことを「ワーディ」と呼ぶのだが、時折激しい雨により作られた水の固まりが鉄砲水となって襲ってくるのだ。
砂の上を走る水の勢いは恐ろしい。ましてや、一度通った水の跡…つまり溝であるワーディを通るのだから、その勢いたるや、
幼いザビエラには想像もつかなかった。年に何人かの旅人や、放牧しているラクダがそれに呑まれ、溺死していると聞く。
砂の地で溺れるのかあ…と考えると、変な感じがする。まあそれはそれとして。
 バッサームも今まさにそのことを考えていたらしく、思案顔で言った。
「護衛が必要でしょうね」
 そしてふと、顔を上げ、天幕の入り口に向かって
「それも万が一の時、上へ逃げられる方が良いですねぇ…ジンの方とか」
「…それはつまり僕たちのことかな?」
 吹き出しそうになりながら、一人の青年が顔を出した。耳が尖っているので、ジンである。爽やかな笑顔で彼は天幕に入ってきた。
次いで気だるげな雰囲気をまとった青年が入ってくる。
「オッサン、今完全にタイミング計って言ったろ」
「まさか」
 肩をすくめて見せるも、その笑顔の中に含まれるものの疑わしさ120%である。
そこがバッサームのいいところだとザビエラは思うのだが、あまり人には理解されにくい部分のようだ。
 護衛の2人は、2人ともが火のジンで、最初に入って来たのがファジュル、もうひとりはサイランスといった。
バッサームが大体の話をしている間、ファジュルは真剣にうなずいたりしていたが、
サイランスのほうは億劫そうにお茶を飲んでいた。
なんとなく、不似合いなコンビである。





「なかなか面白そうだね。それが本当なら、僕も見たいな」
「っちゅーかよォ」
 好意的なファジュルの言葉を聞いて、サイランスはカップを乱暴に机に置いた。
明らかに不機嫌な表情で、サイランスは言った。(そんなサイランスの様子を、ザビエラは興味深く観察していた。もしかすると、バッサームもそうだったかもしれない)
「俺ら、火のジン、なんだけど」
「そうだね」
 にこやかにうなずくファジュルの好青年っぷり(?)に、サイランスのイライラがつのる。
「雨に濡れるのが嫌なのかい?少しなら大丈夫だと…」
「少しだったら川になんねぇだろうが!!」
「大丈夫じゃ、こーゆー時のために雨ガッパちゅーもんがあるけん」
「だああああどいつもこいつもぉぉおおお」
 その日はキレて火を噴きまくりかねないサイランスをなんとか落ち着け、一応の決行日を決めて、解散した。
ちなみに、なんだかんだ言ってサイランスもサイルが見たいらしく、その辺は丸く納まったという。
(「めんどくせぇ」「大体俺護衛じゃねえんだぞ」などと呟いてはいたが)

 決行日。空は綺麗に晴れて、雨の気配など微塵もないが、バサームの「おそらくこの日」という言葉を信じて、本日と相成った。
「ダリィな…本当に降んのかよ…」
「熟練の呪術師の方がそう仰ってるんだから、降るんだろう?」
「もちろんじゃ、バッサームさんはすごいお人じゃけん」
「ふふふ…」
 こうして一行は、まずこのオアシスに来た道(というか方角)へ進むことにした。
歩くこと小一時間。けっこうな距離を進んだが…
「おい。何 も 見 え ね え ぞ 」
「ふむ…そうですね…」
 辺りを見渡したバッサームは、ふむ、とうなずいて、ザビエラの頭に手を置いた。
「お嬢さんの出番ですね」
 振動でグラグラしているザビエラを見て、サイランスは露骨に怪訝そうな顔をする。
「…コイツ、なんかできんのか?」
「失礼な!もちろんできるけん、まかしんさい!!!」
 そして、袋から枝を一本取り出し、砂にさして…手を放した。
「あっち」
「俺帰るわ。お疲れさーん」
 本気で帰りかねないサイランスの首根っこを掴んで、ファジュルは言った。
「これはまた…高度な技術だね」
「どこがァあ!?棒倒しただけじゃねえか」
 呪術師二人は、方向と距離について話し合っている。それを見やりながら、ファジュルは説明した。
「その“倒すだけ”が難しいんだよ。ああいう時、人は無意識に自分の行きたい方向に力を入れてしまいがちなんだ。
 そして、人は自分の好んだ方向に進んで道に迷う。知らずに自らを、道に迷わせているんだね。
だけど彼女は違う。完璧に力を抜いて手を放していた。つまりそれだけの力量のある占い師ってことだよ」
「あぁそ…ご丁寧に解説どぉもっ」
「礼には及ばないよ」
「っつーかいい加減放せコラ」
 笑顔VS引き攣った笑顔の対決を遮るように、ザビエラの明るい声が届いた。
「何しとるんー?決まったけん、行こー」
 計画としては、あと一時間、この方向に進んで何もなかったらオアシスに戻る、ということになった。だがしかし。
数十分ほど歩くと、ワーディらしきものが見え始めた。このまま進めば、橋に辿り着くだろう。
「マジかよ…」
 ザビエラは胸を張って言った。
「どうじゃっ」
「あーすげーすげー」
 ヤケクソ気味である。
橋に着くころには、ぱらぱらと雨が降り始めていた。
ザビエラはきゃいきゃい言いながら、ファジュルと橋の様子を見ている。
サイランスは、雨よけのマントを深くかぶりながら、ぼんやりとしていた。
「…呪術師ってこええ…」
「ここまでピッタリなのは、さすがに偶然でしょうねえ」
「いいのかそれで… ってかいつからそこに居た?」
「ずっと居ましたよ?ふふ」
 バッサームの読みにくい笑顔を見て、長くは付き合いたくない人種だ…とサイランスは思った。疲れる。
数分もすると、ちょろちょろと川らしきものができてきた。ミニサイルだ。
「うおー、すごいのう」
「すごいけど…少し危険かもね。行こう」
 周囲を見渡していたファジュルが促した。雨足が強すぎる。
サイルに魅入っていたザビエラを引きずって、ファジュルは残りの2人と合流した。
「サイランス。大丈夫かい?」
「…少しは」
 勢いのある雨に打たれ、雨よけのマントを羽織っているとはいえ、体が少し濡れてきたらしい。何やらプスプスと煙が出ている。
「あっちに砂丘がある。この勢いだし、早めに避難しておいたほうがいいかもしれない」
「そうですね…そうしましょう…」
 と、その時、足元から嫌な振動が伝わってきた。まさか!
「急ごう。サイランス、ザビエラを頼む」
「あー…おう」
 振動が強くなるとともに、ドドド…という音が近づいてくる。
ジン2人は人間2人を抱えて、砂丘へと急いだ。
サイランスは若干弱っているらしく、あまりスピードが出ない。
「サイランス!早く!!」
「わあってるよ…こいつけっこう重い…」
「え〜… あ、水来た」
 上流(?)から水の固まりが押し寄せてくるのが見える。
十分な距離をとっていてもなお、その勢いに思わず身震いしてしまうほどの、まさに鉄砲水であった。
「ああ…橋が…」
 バッサームが言うのとほぼ同時に、橋は水の勢いに呑まれて、消えた。
一同は、圧倒されるかのように無言で、それを見つめていた。
いつしか雨は止んでいた。

砂の上に日が差し、浮いた水の粒がそれを反射していた。
まるで金の海だと、ザビエラは思った。その中をサイルが一際明るい光を放って流れていた。心が洗われるような光。
一同はしばらくそれを眺めていたが、日が傾くのを合図に、ゆっくりと立ち去ることとなった。




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