雨の日の過ごし方
執筆:ラナーシャ(明梨)
挿絵:ビスト・ロズ(雨月星一)・ラナー・アル・アリー(南ハル)・サラーブ(623)
パラパラとまばらに空から降りる水滴をぼんやりとラナーシャは眺めていた。降り始めたばかりの雨は、雨量が少ないとはいえもうしばらくは降りそうだ。少しだけのつもりで一人で散歩に出たのだが、これは誰かと連れ立ってきた方が良かったか。
もうしばらくは戻れそうにないと空を見上げて呟いて、雨宿りの為に飛び込んだ天幕の中へと再び戻る。
「コンニチハコンニチハ!」
「はい、こんにちは」
最初に入った時にも言った言葉を、翠のインコが律儀に繰り返す。夜間には人で賑わうここも、今はインコと二人だけ。そして外の雨と砂がキャラバンの喧騒を吸い込んで、とても静かな空間を作り出していた。
「雨が降るのはとても良い事なんですけど、困りましたねぇ。暗くなる前に止んでくれるといいのですが」
インコの籠をつついて同意を求めてみるが、インコは挨拶だけが仕事だとでも言うかのように、我関せずと羽の手入れに勤しんでいる。相手をしてくれるつもりのないらしいインコに苦笑すると、天幕の中央においていた自分の荷物に手を伸ばした。
触れた指が小さく弦を弾く。静かな天幕に響いた音はどこかいつもと違って聞こえ、ラナーシャは顔をしかめた。楽器は湿気に弱い。砂漠は湿気がほとんどないので音が変わる事もそうそうないが、こんな突発的な雨にはとても弱かった。
入ってきた時にも確認したが、もう一度念入りに水がかかっていないか確認する。雨に気付いてすぐに布で覆ったからだろう。触れて解るほどぬれているところはなかった。これなら晴れた日に良く乾かしてやれば、ある程度音は戻るかもしれない。
ふと、外の雨音が強くなったように感じて耳を澄ます。この辺りは砂漠としては雨の多い地域に属するが、これほどの降り方は珍しいのではないだろうか。
「外においでの方も多かったですし、慌ててらっしゃる方も多そうですねぇ」
独り言が零れたのと、天幕の入り口に人が現れたのはほぼ同時。一拍遅れてインコのお決まりの挨拶が飛び出した。
駆け込んできたのは初めて顔をあわせる女性だった。遠目に見たりすれ違ったりはしたことがあるのだけれども、こうして間近で顔をあわせるのは初めてで。彼女もまさか昼間からこの天幕に人がいるとは思わなかったのだろう。しばらくなんとも言えない顔でラナーシャを見つめていた。
「コンニチハコンニチハ!」
そんな静寂を破ったのは、反応を返してもらえなかったのが不服なのか、籠の中で羽ばたいて自己主張する翠のインコ。
「あ…こんにちは」
女性が微笑みながら挨拶を返すと満足したのか、インコは大人しく羽繕いに戻った。
「こんにちは。雨、激しくなってきたみたいですねぇ。入り口は寒いでしょうから、もう少し中に入ったほうがいいですよー」
他にも雨に降られてここに避難して来られる方がいるかもしれませんし。そう口にしたその次の瞬間にはもう二人、駆け込んで来た。
ここぞとばかりに声を張り上げるインコ。
「最初はすぐ止むと思ったのですけれど」
「そのまま歩いてたらもっと激しくなってきやがったからなぁ」
「どこかで雨宿りでもと思ったら、ここが目に入ったのネー」
「皆さん考える事は同じですねぇ」
他の三人は体についた水滴を入り口で順番に払い落としている。それに気付いたラナーシャが顔を曇らせた。
「こんな時、他の属性のジンの方ならどうにかできたんでしょうけど…皆さん風邪引かないように気をつけて下さいね」
生憎、ジンであっても属性ゆえにラナーシャには水をどうにかする、という手段がない。しかし三人とも降られてそう経たずに入ってきたのだろう。髪は服は湿気を含んではいたが、水滴になって零れ落ちるほどではなかった。
「アナタはジンなのネー。何のジン?」
ぱたぱたと体の水滴を払い落としながら、独特な言葉遣いの女性が笑顔で問うてくる。
「私は地ジンに属します。あ、初めましてですよね。楽士のラナーシャです」
ここにいるほとんどの人物がまともに話した事がないことを思い出して、自己紹介を付け足す。するとまあ、と最初に入ってきた女性が仄かに笑った。不思議そうに首を傾げると、女性は心持ち背筋を伸ばす。
「私、ラナーと申します」
「わあ、似たお名前ですね」
目を輝かせたラナーシャ達に、勢い込むように両目を包帯でふさいだ男性が話しかける。
「俺もジンだぜ。風のジンだけどな」
「あ、前のキャラバンからご一緒ですよね。ええとええとお名前…」
思い出そうとしても一向に名前の出てこない様子のラナーシャに、風のジンは陽気に笑った。
「話したことなかったもんなぁ。俺はビストだ」
「どうぞよろしくお願い致します。風のジンの方だったら、皆さんの水気を吹き飛ばすとかは…」
「やってもいいが、オレはとにかくたぶんそっちの二人は風邪引くぞ。温風吹かすわけじゃねえし」
風で体を冷やせば、か弱い女性はあっという間に体調を崩すだろう。
「こういう時、オレらみたいなのって役に立たねぇよなぁ」
そうですね。そう苦笑する二人のジンに、他の二人の女性も笑う。
「そんなには濡れてないから大丈夫ですよ」
「ボクも平気なのネー。そういえばそっちのおニーサンは何のお仕事?」
三人がそれぞれ空いた場所に腰を下ろす。
「オレ? 奇術師」
何かを投げるジェスチャーをしながら唯一の男性が答える。
「あ、私街でお仕事してる所お見かけした事ありますー」
きらきらとどこか期待を含ませた眼差しで見つめてくるラナーシャに、しかしビストは苦笑を見せた。
「まあこの狭い天幕の中じゃ、ちっとやってみせるわけにもいかないけどな」
「あー…そうですよねぇ」
残念ではあるが仕方ない。この小さな天幕は四人が座ればもうほとんどスペースがない。
「街に着いたら見に行くのが一番いいと思いますよ。ビストさんもお仕事しながら見せられますし」
心底残念そうなラナーシャに、ラナーがくすくすと笑いながら提案してくれる。
「そうですね、そうします」
とたんに復活したらしいラナーシャの声に、ビストが最後の一人に目を向けた。
「そこの花咲いてるのがラナーシャでこっちがラナーだろ。で、お前は?」
先ほどから三人のやりとりをクスクス笑いながら見ていた四人目。ああ、と気付いたように彼女は笑みをさらに深くした。
「ボクはサラーブって言うのヨ〜。職業は…」
言いかけた彼女を、聞いておいてビストが遮った。
「待て、言うな! 俺が当てる」
包帯に巻かれて見えないはずのビストがサラーブをじっと見つめる。面白そうなサラーブと、期待に満ちた目で答えを待っているラナーシャ、それと対照的に少しおろおろした様子のラナー。三人が見守る中、やがてびしっと指を指し彼は自信満々に言い切った。
「ずばり、奇術師だ! その服の中に色々面白い物を隠してるに違いない!」
「手品ですね! わあ、何が出てくるんでしょう!」
「あの、お二人とも…」
自信満々で言い切ったビストとそれをすっかり信じ込んだラナーシャ。ラナーだけは何か知っているのか横から口を挟もうとしたが、勢いづいてしまった二人のジンは聞いている様子がない。サラーブ本人はただ笑ってその様子を見ていたのだが、とうとう耐え切れなくなったのか盛大に笑い出した。
「残念ネー、ボクは鳥獣使いなのヨ」
良く間違われるのヨネー。苦しい息の下で切れ切れに聞こえてくる台詞に、ラナーシャは真っ青になって謝った。勝手な想像で期待されてさぞ困ったのではないのだろうかとおろおろしていたが、サラーブは予想とは裏腹にけろっとしていた。流すのも慣れていたのだろう。
それでもまだ若干心配そうな雰囲気を察したのか、その視線を天幕の入り口に転じた。先ほどまで羽繕いに勤しんでいたインコは、今は眠っているようだった。
「それにしても珍しく良く降るのネー」
サラーブの言葉に、他の三人も天幕の入り口に目を向ける。雨は未だに降り続いているようで、話し声の途切れた天幕の中にかすかな雨音が届く。
「さっきよりは弱くなってるようですけど、今夜はいつもより冷え込むかもしれませんね」
雨に冷やされたのか、足元を這うように通り過ぎる冷たい空気を感じたラナーシャが呟けば。
「逆に暖かいかもしれないぜ。湿気は熱を逃がし難いっていうしな」
ビストが答えた。それを受けてラナーが続ける。
「砂の熱を吸い取って冷えなければ、暖かい夜になりそうですね」
「この調子で降り続けると、それは難しいかもしれないヨ。そういえばアナタ、楽士だよネ。何か楽しい曲演奏して欲しいのヨ」
雨はありがたい物だが長引けば人は太陽が恋しくなり、気が滅入ってくる。こういう依頼は稀にあるのでいつもならば二つ返事で引き受けるのだが。ラナーシャの答えは歯切れが悪かった。
「今、ですか? うーん、どうでしょうねぇ。ちょっと楽器の調子が悪くて…」
「あら、故障ですか?」
心配そうに尋ねたラナーに苦笑してみせる。
「いえ、楽器は湿気に弱いので…雨に少し当たったせいで音が変わっちゃってるんです」
再度音を確認するように弦を一本ずつ爪弾くと、天幕の中におかしな音の和音が広がる。
「やっぱりダメですねぇ。大分弦を調整したんですけど、音が変になっちゃってます」
弓を使って通常通りに弾いたなら、もっとおかしな音になるだろう。
「そういうのって、直らないものなのか?」
風のジンの言葉にラナーシャは首を振る。
「水に沈めてしまったりした場合は難しいでしょうけれど、今回は少し水がかかってしまった程度なので、湿気を抜いてあげれば大丈夫だと思います」
「楽器も扱いが大変なのネ」
ものめずらしげにラナーシャの楽器を眺めるサラーブの隣で、ビストが足を崩して座りなおした。
「そういう点では俺達奇術師なんかはそこまで神経質になる…奴もいるか? まあ俺はそれほど手入れが要らなくて楽だけどな!」
そこでふと思い出したようにラナーに声をかけた。
「そういやラナーは何やってんだ? 見たところ護衛や見習いってわけじゃなさそうだが」
急に話しかけられた彼女は面食らったように瞬きしたが、すぐに答えた。
「私は呪術師をしています」
「わあ。おまじないとか占いとか出来る方なんですね」
「呪いとかも出来るのかしらネ」
ラナーの答えに、他の二人も顔を上げた。三人に見つめられて彼女は少したじろいだように見えたが、いいえ、と首を振った。
「私がやるのは未来見の占いです。水晶やカードを使って…あ、こういうのです」
そう言って彼女が差し出したのは、色とりどりのイラストの描かれたカード。
「綺麗ですねぇ。これでどうやって占うんですか?」
ラナーシャが珍しそうにカードの一枚を手に取る。
「確か一枚一枚皆意味を持ってるのネ。それの出た順番や並んだ位置で未来を読むのヨ」
カードを持った手元を覗き込みながら、サラーブが解説を入れる。
「よくご存知ですね」
ラナーの手が鮮やかに動いてカードを床の上で混ぜた。ラナーシャは慌てて借りていたカードをその中に戻す。
「この状態から一枚引くだけでも立派な占いなんですよ。漠然としかわからないですけれど」
「ほほう」
興味深そうにビストが手を伸ばして一枚引く。そしてもう一枚。
「じゃあこれとこれはどういう意味なんだ?」
「それは一枚じゃなくて二枚なのネー」
「いいんだよ」
思わず零したようなサラーブの言葉に、あっけらかんとビストが答える。
「オレ今別に未来が知りたいわけじゃねーし。占いっつーかただのカード遊びだな。引いたカードでちょっとオレの未来が見えた気になるのがおもしれーの」
ただの手持ち無沙汰を紛らわせる為の遊び。カードがラナーの商売道具だと考えるとあまり良くないのではとは思うのだが。
「…雨の日の過ごし方としては、正しいのかもしれませんね」
「そうだろ? で、このカードの意味はなんなんだ?」
「あ、それはですね…」
意味を説明し始めたラナーをしばらく他の二人は見つめていたが、やがてサラーブが口を開いた。
「それなら私も何か一曲演奏するのヨー。ちょっとこれ借りるネ」
そう言って抱えたのは音が狂ったあの愛器で。
「ええええ、でも今音が滅茶苦茶で…」
「別にイイヨー」
慌てたように止めようとするラナーシャを後目に、にこにことサラーブは音階の狂った弦をはじく。
「滅茶苦茶でも、音が出てて楽しければそれで音楽なのネー。これがボクの雨の日の過ごし方なのヨ」
その言葉に呆気に取られたような顔をしばらくラナーシャは晒していたが、やがて笑顔になって音階を変える為の指使いをサラーブに教え始めた。その横ではラナーとビストの二人が相変わらずでたらめなカード占いに興じている。
外は既に夕暮れ時、雨音はとっくに聞こえなくなっている。けれど天幕の中からこぼれた調子はずれの弦の音と笑い声が、雨だれのように楽しげに弾んで空に溶けた。
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