迷える人形
先ほどの買い物でおまけでもらった端切れを使ってポーチを作ろうと決めて、それをちょうど作り終えたころにイアマールは突然名前を呼ばれた。振り向くと、宿の中へと続く扉に手をかけた状態で少し前に会ったラスが立っていた。「ラス?下見終わったのね、お疲れ様」
縫い物に集中していたせいか、扉が開いたことに気付かなかった。ラスのそばには、彼よりも頭一個ほど背の小さい少年がおどおどとした様子で立っている。彼は確か、隊商の護衛の子だっただろうか。名を何と言ったか…。大所帯の隊商においては顔を覚えるのが精一杯だった。
「うん、ちょっと前に引き揚げて来たんだ。で、イアマールに頼みたいことがあってね」
ラスはそう言いながらイアマールが座るテーブルに近寄ってきた。先に歩いていってしまったラスのあとを、少し慌てた様子で少年がついてくる。
「頼みたいこと?あたしに?」
聞き返すイアマールに、ラスは布製の人形を手渡した。手のひらほどの大きさで、顔以外には何も飾りがない至極シンプルな人型の作りをしていた。
「そんなに難しいことじゃないさ、この人形を直してもらいたいんだ」
薄黄色のその人形はよく見ると薄汚れていて、数箇所穴が開いている。しかし、中の綿は減っていないのか幸いなことに人形の形は保ったままだ。なので似た色の布をあてて継ぎ合わせるだけで元通りになるだろう。汚れも、手ではたけばすぐ分からなくなる程度のものだ。直すのにさほど時間はかからなそうだった。
「お安い御用だわ、すぐ直してあげる」
笑顔で二つ返事をし、どの色の糸が布地に合うだろうかと考えながら裁縫箱を探る。この人形、そういえばラスの水の人形に似ている気がする。新しく劇で使うのだろうか。
イアマールによる人形の補修が行われた。人形が糸を通され、あれよあれよという間に直されていく様に、ヒィは見とれてしまった。自分が出来ないと思ってた人形の補修を軽々こなしたこともそうだが、自分の仕事に自信の無いヒィは目の前で『服飾商人の仕事』を見て少しの感動を覚えた。これが職というものか…。
椅子からやや前のめりになってイアマールの補修作業を見つめるヒィを彼の隣に座るラスがくすくすと笑った。彼の笑い声で自分の姿勢に気付いたのか、ヒィは赤面しながら慌てて椅子に座りなおした。
「はい、完成よ」
最後の一針を縫い、丁寧に糸を切ると人形の補修は完了した。彼女が作業前に言ったように本当にすぐだった。最後に人形を丁寧にはたいて汚れを落とすと、二人に見せるように持ち直した。先ほどまで穴が開いていたのが嘘のように綺麗に縫い整えられていた。継ぎ接ぎとなっている部分は極力元の布地の色とあわせたのか、違和感がない仕上がりとなっている。完成した人形を見て、二人から思わず感嘆の声を上げた。
「…この人形はラスの?新しく芸で使うの?」
二人からの感嘆に少し照れながらイアマールがラスに問いかけた。するとラスが、言ってなかったっけときょとんとした顔をする。
「この人形は街で拾ったんだよね。だから、持ち主不明の迷子さん。持ち主も探してあげなきゃ可哀想だね…」
説明も途中に、どうやって探そうかと思案し始めたラスの横からヒィが補足するように話し出した。
「そっ、その人形…ルフが憑いてるんです…」
その言葉を聞き、イアマールは驚いたように人形を見つめる。イアマールにはどこからどう見ても、なんの変哲も無い人形にしか見えなかった。
「えっと…その子、貸してください…」
そう言われ、直したばかりの人形をヒィの手に乗せる。するとヒィは人形にそっと呼びかける。
「起きて、君の体が直ったよ」
そう声をかけると、人形は息が吹き込まれたかのように立ち上がり、くるくるとその場で踊りだした。とても単調な踊りだが、シンプルな人形が飛び跳ねるように元気よく踊っている姿はとても可愛らしいものであった。
始めこそ急に動き出したことに驚いたイアマールだが、すぐさま目の前で可愛らしく踊る人形に釘付けとなった。ラスも楽しそうに人形の踊りを見ている。
しばらくすると踊りが終わったのかちょうどテーブルの中央で止まり、ぺこりとお辞儀した。観客であった三人がぱちぱちと拍手をする。
「憑いている人形をルフが操って踊っているのかしら?上手なものね」
「紐もついていない人形が踊る、これはちょっとした見世物になりそうだね。どこかで踊りを見せていたのかな?」
率直な感想を述べたイアマールに続いてラスがそう呟いた。人形の持ち主を探す手がかりにならないのかと考えているようだ。人形が突然踊りだしたことで忘れていたが、先ほどラスが『人形は街で拾った』と言ったのをイアマールは思い出した。
壊れて、街に置いていかれた人形…
そういえばさっきもそんな話を聞いたような…イアマールはここで初めて女主人の話を思い出した。
女主人が『看板の人形』と言っていたのを装飾のついた美しい人形だと解釈していた。それゆえに目の前にいるこの無地の布地で出来たシンプルな人形が『看板の人形』とは到底結びつかなかったのだ。しかし、見世物になる特技を人形が披露したことで初めて『看板の人形』である可能性に思い至った。
女主人は、布でできており手のひらほどの大きさとも言っていた。考えてみればいまの状況とすべてが合致する。…ルフが入っているのは予想外だったけど。
「この子、もしかしたらこの宿の人形かもしれないわ…」
イアマールは女主人が看板の人形を探していたことを二人に伝えた。召喚士であるヒィが事実を確かめるように人形に憑いているルフに問いかけると、肯定をするように人形が飛び跳ねた。
「これは、一件落着ってとこかな!」
「おうち見つかって良かったね…、身体もちゃんと直ったし」
人形の様子を見ながらラスが嬉しそうに言い、ヒィも安堵の笑みを浮かべながら人形を撫でた。媒体となっている人形が壊れていた先ほどとは違い、はっきりとルフの意思を感じることができた。
「じゃあ、宿の人には私が渡しておくよ」
ラスがそう言うので、ヒィはよろしくお願いしますと言いながら名残惜しむように彼に人形を手渡した。
「あ、そうそう。私の頼みごとを聞いてくれた二人には何かご褒美をあげないとね」
人形を受け取りながら、思い出したようにラスが言う。確かに、ヒィは『人形を見てくれ』という頼み、イアマールは『人形を直してくれ』という頼みを聞いた形になる。
「えっ、ご、ご褒美なんて…そんな…えっと」
「これくらいそんな大したことじゃないから、ご褒美だなんていいわよ」
ラスの言葉に驚いたように口を揃えるに二人に、パチンとウインクをして続けた。
「こういうときは、素直にもらっておくものだよ」
椅子から立ち上がった長身のラスを、椅子に座ったままの二人は見上げる形になった。有無を言わせないような雰囲気と諭すような大人な言葉も相まって、じゃあ…と素直に受け取ることとなる。その様子にラスは満足したように、よろしいと呟いた。
長き時を生きた水のジンはまだ年若い人間の少年少女に、ご褒美楽しみにしててねと言い残し軽快な足取りで中庭を後にしていった。
景色の良い中庭にはイアマールとヒィの二人が残された。
最後のご褒美の話で余程あっけにとられたのか、ヒィはまだ少しぽかんとしたままだった。イアマールがその様子を見て、くすりと笑った。
ラスに残されたこととイアマールに笑われたことで居心地が悪くなったヒィは少し慌てながら、自分はどうしようかと迷った。すぐに立ち去るのも、イアマールを避けているようで彼女に不快感を与えないだろうか…。彼は物事を深く考えすぎる性質があった。
明らかに迷っている様子のヒィに、イアマールから話しかけた。
「人形を直すとき興味深そうに見ていたけど、刺繍に興味があるの?」
「あっ、えっと、その…あんなに早く細かく出来るなんて、すごいなぁと思って…っ、その…」
人形の補修の際に作業を凝視していたことを気付かれていたことに赤面しながら、なんとか回答になっているか怪しい返答をする。
「まだ端切れ余ってるから……あなたも何か縫ってみる?分からなければ教えてあげるわよ」
おまけでもらった端切れを手にしながら提案してみる。同じ年ほどの少年に縫い物を提案するのもどうかと思ったが、イアマールの予想以上に彼は縫い物に興味があったのか今までの彼にしては良い反応を示す。目は前髪で隠れて見えないが、先ほどまでの慌てた様子に比べると幾分嬉しそうな顔をしているように見受けられた。
しかしまだ迷うところがあるのか、中々返事はこない。小声で何かと会話しているようだった、会話の相手は彼のルフだろうか。
イアマールには聞こえていないが、迷っている彼を彼の所持するルフ達が後押ししていた。教えてもらえる機会なんてそうそうないぞだとか、部屋に引きこもってるよりもよっぽど実りがあるぞだとか。しばらくすると、会話が終わったのかイアマールに向きかえる。
「……おっ、お邪魔でないのなら…よろしくお願いしますっ…」
一日中部屋に引きこもっていた少年は、中庭での優雅な昼下がりを過ごすこととなった。
昼下がりの優雅な刺繍講義を終えたころ、
無事に宿の女主人へ人形を送り届けたラスからご褒美という名の『宿の看板人形と水の人形のコラボレーション劇』を見せてもらえることになるが、それはまた別のお話。
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