三女子寄らば、
 まるで一騎打ちを始める直前の戦士同士のような、触れば雷でも放ちそうな、激しい緊張感が店主とルマイキーヤの間を渦巻きはじめる。
「銀一銅二。譲れませんことよ」
「金が出せなきゃお話にならないよ」
 かくて店先での大値引き合戦の火蓋が切って落とされた。
 交渉の出だしは、ルマイキーヤは頑として最初の値を譲らず、店主があれこれと攻撃を仕掛けている様子だった。ルマイキーヤは値段を話題に上らせず、この機会がなんとすばらしいか、ぜひ売るべきだと説得する事に神経を注いでいる。店主は店主で、この衣装の価値を隅々まで説明し、簡単には値を引けない理由をつらつらと並べ立てる。踊り子達は割り込むこともいさめる事も出来ず、ただ黙って見守る事しか出来ない。
 と、二人があまりに白熱した口論を繰り広げるからか、踊り子達に居並ぶように、次第に人が足を止め始めた。商人たちの丁々発止が繰り広げられるたび、その数は増えていき、いつしか人だかりと呼ぶにふさわしい物に変わっていく。
「可哀想じゃないか。負けてやれよ!」
「お嬢ちゃん頑張れっ」
 ついにはそんな声まで聞こえてくる。当事者たるミルファクは事が大きくなるたびにおろおろしっぱなしである。
「金四枚だ! これ以上は無理だね!」
 店主が悲鳴にも似た声で叫んだ。とうとう半値以下に下げさせたルマイキーヤに、おお、と周囲からどよめきが上がる。
「俺だって譲りたいよ。けどこれ以上引いたら商売できなくなっちまう」
 弱々しい店主の言はどこか懇願する響きさえあった。ルマイキーヤはそこで一旦攻勢を止める。一呼吸置いて息を整え、そして立派になった人だかりを見渡した。
 その時二人の踊り子にも視線が届く。何か考えている、そんな目だ。
 ルマイキーヤはミルファクに手を差し伸べると、大勢に呼びかけるように声を高くした。
「皆様。今ここにいる娘は将来有望な踊り子でございまして。普段は寝る間も身繕いする間も惜しんで踊りの稽古をしているのでございますが、ようやっと師のお許しが出て人前に立てることになったのですわ。わたくしは女神様の結ばれたご縁があって、仕入れをお手伝いさせていただいている者。わたくしに彼女の師は仰いました、可愛い弟子の晴れ舞台にはふさわしい衣装を合わせてやりたい、けれど旅暮らし故にあまり額は出せない。百も承知で覗いた大スークで、これはとやっと見つけた衣装ですが、皆様のご覧になっている有様でございます。もし、皆々様。もしこの娘が哀れとお思いなら、心ばかりの投資をしてはいただけませんでしょうか」
「ルマイキーヤ?」
 事を飲み込みかねて尋ねるミルファクに、ルマイキーヤは微笑んだ。件のオーラが渦巻く微笑みである。
「ミルファクさん、あなたも踊り子でしたらいつだって踊れますわよね?」
「え? へ?」
「もちろんよ! だってあたしの自慢の『弟子』ですもの!」
 不意にロヤーが進みでて、美しい動作で周囲に礼をした。
「今より『我が弟子』、ミルファクの『初舞い』を皆様に披露させていただきます。もしお気に召しましたならば、お心分を何卒お恵みくださいますよう」
「……はッ!」
 つまるところ――、ミルファクはやっと気がついた。商人の娘は、今からこの聴衆から不足分を集めようとしているのだ。しかも『初舞台』という名目で。言うまでもなく、もちろんミルファクはもう何度も踊りでお金を頂いた経験がある。
 なかったら稼げば良い。それは最初から狙っていた事だったのか、ミルファクに知る術はない。
「この間だけでも、あの衣装、貸していただけませんこと? もし力及ばず衣装をお返しする事になったら、その時は貸し賃をしっかり取っていただいて構いませんから。一度だけでも、『師』の選んだ衣装に袖を通させてあげたいんです」
 ロヤーが嘘に便乗した瞬間を逃がさず、ルマイキーヤが主人に畳み掛けるように掛け合う。不承不承、主人も頷く。
 聴衆も事の運びを面白がっているようだった。期待のまなざしがミルファクに向かって注がれ始めていた。
 ミルファクのそんな思考は、もうはるか彼方に置いてきぼりにされていた。
 しかし、期待されたからには踊らねばならない。
「じゃ、じゃあ……ちょっとばかし用意させて下さいッス!」
 衣装が手に入るかどうかはともかく、踊る事を生業としているからには。



 店の奥から、しずしずと。
 歩みて聴衆の前に現れたるは、黒き衣の舞い手。
 しんと静まり返ったのは、驚きゆえ。
 ついさっきまで冴えない身なりだった娘の、あまりの変わりようゆえだ。
 クマの濃い目を仮面で覆うだけで、これだけ人を変えてしまうのかと思うほど――
 ミルファクはゆったりと間を持たせながら、聴衆に向かい一礼した。
「さても、まだまだ至らぬわたくしの為によくお足を留めておいて下さいました。一指し舞わせて頂きます。お気に召していただければ幸い――」
 言葉尻が消え入るのと入れ替わるように、ミルファクはゆるりと動いた。まずはゆっくりした動作。身体の一つ一つ、部分部分の動きを、見せるための舞。身体の線を強調する衣装ゆえに、そのゆるやかに動作する曲線は、たゆたう波にも似て、人々の目に映る。
 人々の視線が次第に熱を帯びてくるのを感じながら、ミルファクは徐々に激しい舞へと映っていく。指輪と一体となったショールが風をはらませ、焔色の髪が舞う。スリットの入った裾野がふわりと広がれば、自然と人々がどよめいた。
 そこに、涼やかな鈴の音が加わる。気がつけばロヤーが隣に並んでいた。いつの間にやら、ちゃっかり店の衣装に着替えている。
 彼女の舞は自由である。感情をストレートに踊りの中に組み込んでいく。しかし自身は主役にならず、ミルファクの舞を引き立てるように、調整されている。ロヤーが動くたび、耳に飾られた鈴がしゃらしゃらと鳴り、それはリズムを先導して、ミルファクを、聴衆たちを一体にしていく。実はちょっとした魔法のアイテムだ。他に楽器がない分、普通以上に効果を上げているらしかった。
 誰かから、レレレイ、レレレイ、と賞賛を意図するザガリートが発せられる。興が乗ったらしいロヤーが、レレレイ、とザガリートを返す。ミルファクの顔にも自然な笑みが浮かんでいた。
 鈴に合わせて腰を震わせ、高々腕を太陽に掲げ。
 たん、と最後に足をそろえて舞い終われば、わっとばかりの歓声と惜しむことのないザガリートに包まれた。




●ミントティーと後日談
「やー、まさかお釣がくるとは思わなかったッス」
 後日。今度は隊商宿の休憩室で、再び三人は卓を囲んでいた。目の前にはあの日の衣装と、そろいのアクセサリーが置いてある。
「お陰で小物まで揃えられてしまったッス。お二人にはホントーに感謝してるッス!」
「うふふ、そんなこと」
 ロヤーは楽しそうに頭を振って、
「その衣装に合う飾りを探すのに躍起になっちゃって、普段着まで手が回らなかったのは残念だけど。また一緒にお買い物していただけると嬉しいわ!」
「そうッスね。あの店主さんのお陰でちょっと小銭が入りそうッスし」
 あの一件のが噂を呼んだらしく、あの店ではその後にわかに客が増えた。その日踊った踊り子のことを知りたいと者も多く、店主はロヤーとミルファクに、時間があればまた踊って欲しいと依頼してきたのだった。依頼報酬は現金に加えて店の衣装を着放題ということで、二人は結構楽しそうにたびたび依頼を受けている。
「お役に立てて何よりでしたわ」
 そう言うルマイキーヤはあまり元気がない。ルマイキーヤに関してはあれ以降、『酷く値切られる』との噂が広まり、新規顧客獲得どころか取引まで減ってしまった。不意に出るため息が、最初に喫茶店で聞いたものより重いのは、気のせいではないだろう。
「ああ……あの時はミルファクさんにあの衣装をお譲りしたくて懸命でしたけれど、少しやりすぎたかもしれませんわ」
「元気出して下さいッス! きっとまた良いこともあるッスよ!」
 その時、女性が一人、供を連れて休憩室に入ってきた。ちょうど入り口の方を向いて座っていたロヤーが、首を傾げた。美人なら割かし顔を覚えている自信があるロヤーだが、知らない顔だ。新しく宿に入ってきた人だろうか。
 女性は供と、こちらを向いて何がしか話した後、まっすぐ歩み寄ってきた。彼女が真っ直ぐ向き合うのは、気落ち気味のルマイキーヤ。何がしか感じて背筋を伸ばしたルマイキーヤに、女性は上品な仕草で挨拶をする。
「こんなところまで押しかけて失礼は承知なのですが、ぜひすぐにでもルマイキーヤさんにご依頼したいことがございまして」
「依頼、ですか」
「服飾スークでのご活躍を見こんでのお願いなのですが、話だけでも聞いていただくわけにはまいりませんか?」
 ルマイキーヤの目が輝き、頬がみるみる紅潮していくのが、隣で見ていると良く分かる。もちろん、と言いかけて、慌ててルマイキーヤはロヤーとミルファクに意識を戻した。
「すみません、ロヤーさん、ミルファクさん、急で申し訳ありませんがこの方のお話、伺ってまいりますわ」
「ええ、もちろん。気にしないで行ってらっしゃい」
「ファイトッス!」
「ありがとうございます。では、また」
 貿易商に急かされ、別れもそこそこに、ルマイキーヤは席を立つ。
 二人残った踊り子達は、小走りに休憩室を出る商人の姿を見送ると、顔を見合わせて笑った。
「上手く行くと良いわよね」
「そッスね!」
 そして、どちらともなくティーグラスを打ち合わせる。チン、と可愛らしい音を立て、中に満ちたミントティーが揺れた。

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