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 街自体が栄えていることもあって、午後の市場は相変わらず賑やかだった。
 商人達の客寄せの声や、良い品を探して行きかう人々、大きな店から小さな露店まで、人と物で溢れている。
 きょろきょろと店先を覘いたり、目的の品を探しながら、ティスア、ニルヴァーニア、アサドは大通りを歩いていた。
「それにしてもアサドさんてすごいですねえ。宮廷のこととか交易品とか、宝石のことなんかも知っていて」
「そうか? まあ、幼い頃から見ていたから」
 アサドは軽く肩をすくめる。
「そうなのですか……」
「そういえば、ちょっと聞いたことあるかも。確か、アサドさんは良家の出身だとか」
「ああ、まあ……」
 ティスアの言葉に頷きながらも、アサドは言葉を濁した。その端正な顔が照れたような表情になり、そして少しだけ陰る。
 彼にとってそれは、あまり深くは言いたくないことだったのかもしれない。それに気付いて、ティスアは慌てて話題を変えた。
「あ、そうそう、私、学者さんにこういうお願いをしたのは初めてかもしれないです。キャラバンにいる学者さん達みんな、色んなことを研究してらっしゃるんですね。やっぱり学者さんて色んなこと知っていて、尊敬しちゃいますよ!」
「いえ、そんな」
 ティスアの素直な賛辞に照れたらしいニルヴァーニアが、両手で頬をおさえる。
「私は、商人さんがすごいなあと、尊敬します……」
「ああ、商人の方々は学者とはまた違う、様々な知識を持っていると私も思う。ぜひ色々教えていただきたいものだ」
 2人の言葉に、ティスアはえっ? ときょとんとした。
「でも、私が教えられることなんてないですよ。難しい言葉が読めたりするわけでもないですし」
「いや、商人ならではの知識、というのか。そういったものが色々とありそうだ」
「商人ならではの、ですか。そうですねえ、何か……あ!」
 言いかけて、ティスアの視線がある店でとまった。店先には色鮮やかな様々な形のフルーツが、美味しそうに並んでいる。
 さっきのレシピの材料に、いくつかフルーツが書いてあったことを思い出し、ティスアはパチンと手を打った。
「よし、じゃあ、物を買うときのコツをお教えします!」
「買うときのコツ?」
 ティスアは不思議そうな顔をした2人を連れてその店の前まで行くと、オレンジやリンゴなどをいくつか選び出した。
 さすがに、選ぶ手際も慣れたものだ。それらを、日よけの布を頭に巻いた店主のオヤジに向かって差し出す。
「こんにちは、これ下さい!」
「あいよ、銅貨7枚だ」
 気の良さそうなオヤジが威勢よく返事をすると、ティスアは親父を見やった。
「え、7枚ですか? ちょっと高いなあ」
 子供のように、少し口を尖らせる。
「そうは言ってもなあ、これはいいオレンジだよ」
「あっ、わかります! だってお店に並んでるフルーツ、みんなすごく色や匂いがいいですもん。店主さん、仕入れが上手いんですねえ!」
「はっは、まあな! なんだあ、お嬢ちゃん、なかなか口が上手いじゃねえか。気に入った、じゃあ銅貨6枚でいいよ」
「6枚かあー」
 ティスアは考えるように顎に指を当てて、外の他の店へ視線をやった。
「んーでもなあ、向こうのお店でお菓子も買いたいしなあ。……やっぱりやめようかなあ」
「おいおい、そりゃないだろ。そりゃあ甘くておいしいぜ」
「そうなんですか? 店主さんのオススメなら、ぜひ食べてみたいですね。でもー6枚かー……」
 うーん、と呟き、果物と店主に視線をいったりきたりさせる。そして片目を瞑って、悪戯っぽく手を合わせ店主を見上げた。
「色々買うんですし、もうひと声だめですか?」
「ええ? うーむ……」
「そしたら、同じ隊商のみんなに、ここのお店の果物が美味しかったって宣伝しますから」
「ああ、お嬢ちゃん隊商の人なのかい。そうかー……」
 しぶる店主に、ティスアは
「店主さんの目で選んでくれたオススメのフルーツ、きっとおいしいだろうなあー。旅の疲れも消えちゃうと思います! 目利きが出来る上、男前の店主さん!」
「ぶふっ! あっはっはっは!! お嬢ちゃん面白いねえ! わかったわかった、負けたよ。5枚にしてやる!」
「やった! ありがとうございます!!」
 子供のようにはしゃいで、ティスアは銅貨を払い、フルーツを受け取った。
「ははは、ありがとよ。またおいで」
「はい!」
 満面の笑みで店主に手を振ると、ティスアはニルヴァーニアとアサドの元へと戻る。
「ざっとこんな感じです!」
 ティスアは少し得意げに、2人に銅貨5枚で買うことに成功したリンゴとオレンジを見せた。
 艶のあるおいしそうなフルーツが、袋の中で輝いている。お世辞でも何でもなく、実際店主は品選びが上手いのだろう。

「すごい、です……!」
「見事だ。鮮やかなものだな!」
 感動したように、ニルヴァーニアとアサドは拍手した。
「えへへ! でもこういうのは慣れですよ。店主さんとのやり取りも楽しいですし」
 ティスアは欲しい品を値切るのが、上手い方だ。それは本人が商人だということもあるだろうし、ティスアの明るい性格や、親しみやすい口調のせいもあるか。
 値切って店員と話しているときのティスアは、傍から見ていてもいきいきとして、楽しそうだ。
「ああ、確かに面白そうだな。……よし、今度は私がやってみよう」
 ティスアと店主のやり取りを見て、アサドもそれに興味を持ったようだった。
 丁度よく砂糖を扱っている店を見つけると、彼はすたすたと店先へ歩み寄った。
「砂糖の種類はコレで良いか?」
「はい、じゃあそれを2袋」
「わかった」
 ティスアに砂糖を確認すると、その袋を差し出して女の店員に声をかける。
「こちらをいただけませんか」
「いらっしゃい、2袋なら銅貨5枚……あら、素敵なお兄さんだこと」
 店員は値段を言うと、凛々しいアサドに笑いかけた。アサドは一瞬目をぱちくりとさせたが、ふわりと柔らかな笑顔になる。
「ありがとうございます。貴女のようなお綺麗な女性に褒めていただけるなんて、光栄です」
「あら、お上手ねえ」
 店員は照れたように手をひらひらさせる。しかしアサドは心外だというふうに続けた。
「思ったことをそのまま申し上げただけです。その美しい髪と、青い瞳。髪飾りもよくお似合いです」
「まあ、うふふふ! 何だか恥ずかしいけれど、嬉しいわ! オマケしちゃおうかしら。銅貨4枚でいいわよ」
「よろしいのですか? そんなつもりではなかったのですが。お美しいだけではなく、とてもお優しいのですね」
 アサドが綺麗な目を細める。するとその背後にまるで花が咲いたように、空気が華やいだ。
 それは彼自身が持つ魅力であり、気品であり、隠れた能力とでもいうのか。
「ありがとうございます、それではこちらがお代です」
「ありがとう」
「こちらこそ。良い砂糖が手に入り、素敵な方とお話が出来て良かったです」
 にこり、アサドが笑むと、店員の女性は頬を赤らめた。
「も、もう、ほんとにお上手なんだから! 嬉しいから、これ、つけちゃうわ。どうぞ!」
 赤くなった店員から小さな袋をもう1つ受け取ると、再びお礼を述べてアサドはティスア達のところへと戻った。
「ううむ、アサドさん、お、恐るべし! まけて下さいなんて1言もいってないのに、値切った上におまけまでいただくとは! 何かキラキラしてましたよ?!」
「はい、キラキラ、してました……!」
 拳を握ってティスアは興奮気味に言い、ニルヴァーニアも目をぱちぱちさせている。
「キラキラ?」
「キラキラです! あれどうやるんですか?!」
「どうやる、と言われても」
 アサド本人は気がついてはいないようだが、彼独特のオーラのようなものがあるのだ。彼の由緒正しい生まれや育ちにも由来するだろうが、やはりアサドの人格や口調の良さ、丁寧さから感じられるものだろう。おそらく天然の、女性を褒める言葉や仕草などは特にナチュラルで似合っている。
 思わずドキリとしてしまうような、そんな雰囲気が彼にはあった。
「おまけしていただいてしまった。これはなんだろう?」
 店員から貰った袋を開いてアサドが覘くと、中には砂糖菓子が入っていた。
「ああ、いいな。みんなで一緒に食べないか?」
「いいんですか? やった!」
 喜ぶティスアの横で、ニルヴァーニアも顔をほころばせる。学者2人と商人、変わったメンバー3人での買い物は楽しくて面白くて。
(一緒に来て良かった……)
 そんなふうに思った彼女の視界の隅に、何か小さな光が映った。
「……?」
 ニルヴァーニアがそちらを振り返るとそこには、小さいながらも感じの良い露店があった。
 何となく惹かれて店先を眺める。どうやら先ほどの光は、そこに並ぶ小瓶が日を反射したものだったようだ。
「ニルヴァーニアさん、どうしたんですか?」
 キラキラした小瓶にニルヴァーニアが見入っていると、それに気付いたティスアとアサドもそちらに目を向けた。
「いらっしゃい、良ければ見ていって下さいね」
 優しそうな露店の店員が、瓶を手で示す。青や赤、透明の瓶、シンプルながらどれも飾っておいてもいいような洒落たデザインで、中には液体が入っているようだった。
「わあ、綺麗ですね!」
「はい……中身は、何なのでしょう……?」
 ニルヴァーニアが呟くと、店員がその中の瓶を1つ手に取り、3人の目の前に差し出して見せた。
「これは、エッセンスですよ。花や植物のエキスです。いい香りですよ」
「へえ、素敵! 初めて聞きました!」
「私もだ。面白いな、料理などに使うのか」
 花の種類によって、色や香りも違うらしい。試しに、と店員が開けてくれた小瓶から、爽やかな甘い香りが漂った。
「良い香り、ですね……」
 ニルヴァーニアの言葉に、でしょう? と店員が微笑む。
「色々種類がありますねえ」
「ええ。こちらの赤い瓶のエッセンスなんかは、少し珍しいものなんですよ。赤い花と果物のエキスをブレンドしたものなんです」
「これですか?」
 アサドが赤い小瓶を手に取る。
「そう。お料理や飲み物の香り付けに使われるんですけれど、その香り高さと色の美しさから、ある国では宝石の名前でも呼ばれるんですよ」
「宝石……?」
 3人は目を瞬かせる。そしてアサド、ティスア、ニルヴァーニアの頭の中にいくつかの言葉が浮かんだ。
 エッセンス、料理などに使う、香り高さと美しさ、液体、赤い、そして宝石の名前……
「美しい赤い宝石の雫、これは……」
「……『ガーネットの涙』!!」
 声を揃えて正解を言った3人を、店員はまあ、と驚いたように見た。



 それから数日後。
 ティスアに招かれたニルヴァーニアとアサドは、天幕で並んで座っていた。彼らの前には、それぞれ持ってきた茶菓子がおかれている。
「ありがとうございます、わざわざいらして下さって。お菓子までいただいちゃって、すみません」
 カップを乗せたお盆を手にティスアが現れると、天幕に茶の良い香りが広がった。
「いいえ……こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます……」
「ありがとう。私の方の菓子は、私が作ったものなので味の保証は出来ないが……」
「そんな! すっごく美味しそうですよ!」
 アサドの作ったという焼き菓子は、ティスアの言う通り、香ばしく焼きあがっていてとても美味しそうだ。
 ティスアは2人の前にカップを置くと、ポットから丁寧に茶を注ぐ。その手馴れた淹れ方と、茶の美しい色を、ニルヴァーニアとアサドは感心したように眺めた。
「こちらが、こないだお2人に手伝っていただいて読んだレシピに載っていたお茶の1つです。ぜひお2人に飲んでいただきたくて」
 白いカップに注がれたそれは、柔らかな琥珀色をしていて、茶葉独特の香りと、花や果物の甘さを感じさせる香りがした。
「これ、『ガーネットの涙』を使ったお茶です。調合とか淹れ方とか練習したので、美味しく淹れられてると思うんですけど」
 そう言ってティスアは、先日露店で買った、あの赤い小瓶を見せる。
「なるほど、とても良い香りだな。では早速、冷めないうちにいただくとしよう」
「はい、いただき、ます」
 2人がカップを手に取り、口に運ぶのを、ティスアはどきどきと少し緊張したような面持ちで見つめた。
「いかが、ですか?」
 こくり、一口飲んだ2人の学者がティスアを見る。
「美味しいです……!」
「ああ、とても美味しい! 香りも、味も良いな」
 ニルヴァーニアとアサドの言葉に、ティスアはほっとし、力を抜いて息をはいた。
「良かったぁ。お2人にそう言っていただけて。お口に合ったようで嬉しいです!」
「甘すぎないのも良い。茶菓子にもよく合うと思う」
「ですよね! お茶自体の香りと、エッセンスの甘さが丁度良くて。あのレシピを考えた人はすごいと思います」
 嬉しそうに『ガーネットの涙』の小瓶をきゅっと握ると、ティスアはニルヴァーニアとアサドに向き直った。
「あのレシピを読めたのも、エッセンスを見つけられたのもお2人のおかげですね! 本当にありがとうございます。あっ、もちろん、何かお礼……」
「そ、そんな……お礼なんて。私も、勉強になりましたし……楽しかった、ですから」
 ニルヴァーニアは慌てて首を振る。古くから伝わる茶葉の調合方法という、変わった文献を見られたし、買い物も本当に楽しかったのだ。
「私もだ。こんなに美味しいお茶もいただけたしな」
 アサドも、ティスアの淹れたお茶を美味しそうに飲みながら同意する。
「でも……それじゃあ私、ニルヴァーニアさんとアサドさんに、お世話になりっぱなしです」
 ティスアは、ありがたいような、困ったような顔をした。
 実際、あのレシピはティスア1人では読めなかったし、依頼のつもりで解読の手伝いをお願いしたのだ。買い物にも付き合ってもらい、偶然とはいえ『ガーネットの涙』の正体を見つけることが出来たのも、ニルヴァーニアとアサドのおかげである。
 2人がそれを楽しんでくれたのは嬉しいけれど……とティスアが考えていると、アサドがそれなら、とカップをおいた。
「そうだな、気になると言うのなら、私もティスアさんにお願いしたいことがある」
 彼の言葉に、隣でニルヴァーニアも、あ、とこくこく頷いた。
「私も、です……」
「え、なんでしょう」
 ティスアは不思議そうに訊ねる。何か自分で、この2人の役にたてるようなことがあっただろうか?
 言いたいことは同じ、とアサドが彼女に目配せをすると、ニルヴァーニアは、少しはにかんだように胸に手を当てながら言った。
「また、こうして、おいしいお茶をご一緒させて、いただけませんか……?」
「え?」
「ああ、ついでに、美味しくお茶を淹れるコツも教えていただけると嬉しい」
 悪戯っぽく、アサドが付け足す。
「どうだろう?」
 茶葉商人の彼女は、2人の学者のお願いに一瞬目を丸くしていたが、みるみるうちに笑顔になって。
「はい! 喜んで!」
 伝わる方法、ティスアの技術、ニルヴァーニアの知識、アサドの教養を混ぜ合わせて作られたブレンドティー。
 その優しい茶の香りの中、ティスアは嬉しそうに頷いた。


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