blend
執筆:あざな(ティスア)
挿絵:清(アサド・ワッハーブ・マジュディー)/雨水(ニルヴァーニア)
 茶葉商人のティスアは、何かの書かれた数枚の紙を眺めていた。
 彼女の手にしたそれには、ずらずらとメモや簡単な図や、何かの説明が書かれている。
「茶葉の、えっと、カップ、に……何、と何を入れ……」
 何とかわかる言葉だけを拾って、文章にしてみようと試みるが……
「うーむ……。だめだ、読めない」
 はあ、とティスアはため息をついた。
 砂漠には読み書きの出来ない者も案外多い。文を読めなくても素晴らしい技術や能力を持っている者は沢山いるし、職業によっては字が書けなくてもさほど困ることはない。
 ティスアはといえば、商人という職業柄、一通り読み書きは覚えていた。取引や商談、仕入れでは、書面でのやりとりも意外とあるものだ。
 だがしかし。
「これ……異国の言葉かどこかの地方の言葉……それか、古い言葉なのかなあ?」
 読めない文字の書かれた紙とにらめっこしながら、ティスアは呟く。中には何となくわかる言葉もあるのだが、どうも一般的でない言葉や専門用語、はたまた見たことのない言葉などが使われていて、内容がよくわからないのだ。
「やっぱり、誰かにお願いするしかないよね」
 ティスアはその紙を丁寧に畳んでポケットに入れると、隊商宿の部屋を出た。 


『blend』


 砂漠を旅するキャラバンには、学者を生業とする者達も同行している。専門分野は様々だが、どの学者先生も皆、やはり知的なイメージだ。
「えっと……」
 隊商宿内をひとしきり探したティスアは、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていたが、宿前の広場でようやく目的の後姿を見つけると彼女へと駆け寄った。
「あのっ、ニルヴァーニアさん、ですよね?」
「え……」
 さらさらとした青い長い髪の少女が振り返る。額と両頬に、まじないのような印。金茶色のたれ目をした、大人しそうな娘だ。
「は、はい……そうです、けれど」
「初めまして。私、茶葉商人のティスアといいます」
 ティスアは彼女にぺこりと頭を下げた。
 同じ隊商に所属してるとはいえ、隊商は200人もの大所帯だ。面識のないメンバーも勿論いる。商人であるティスアは顔が知られてはいる方だったが、それでも話したことのない人はいた。
「ティスア、さま」
「あはは、さまだなんて、照れちゃいますね。えっと、いまちょっとお時間いいですか?」
「え、はい。かまいません、けれど……」
「良かった。実は私、ニルヴァーニアさんにお願いがあって……」
「お願い……?」
 ニルヴァーニアは小首を傾げた。きょとんとしたその仕草が可愛いなあ、などと思いながらティスアはポケットから先ほどの紙を取り出した。
「そうなんです。依頼、と言ってもいいのかもしれないですけど」
 ティスアが広げたその紙を、二ルヴァーニアは覗き込む。
「先日立ち寄った街で、私、ある商人さんと知り合いになりまして。その人も茶葉を扱っている人だったので、気が合って色々とお話させてもらったんです。そしたらその方が私を気に入ってくれたみたいで、良いものがあるから貴方に譲ってあげよう、って言い出したんですよ」
「はあ……」
「それでこの紙を下さったんです。何でも、ある地方の変わった茶葉の説明や、宮廷などで使われる調合方法が書かれているんだそうです。その方も先輩商人さんから譲ってもらったけれど、もう飽きるほど読んで覚えているから、今度は私に、って。それで譲っていただいたんですね」
「なるほど」
 ティスアの説明に、ニルヴァーニアが小さな声で相槌を打つ。しかしティスアは紙の端っこを弄りながら、困ったような、恥ずかしそうな顔で言った。
「もちろん私も喜んでいただいたんです、けど。その、残念ながら私……ここに書かれている言葉が読めなかったんです」
「え……」
「何だか珍しい文字が使われてるみたいで。それでどなたかのお力を借りようと思って心当たりをマリ姐さんに聞いてみたら、ニルヴァーニアさんって学者さんがいるって教えてくれたんです」
 ティスアは顔を上げて、ニルヴァーニアと目を合わせた。
「ニルヴァーニアさんはまじない歌を研究してる学者さんだって伺いました。専門とはちょっと違うと思いますけれど……珍しい言葉とか文字にお詳しいかなって。その、もし宜しければ、これを読むのを手伝っていただけないでしょうか……?」
 ティスアの説明に、ニルヴァーニアは納得したように瞬きし、こくりと頷いた。
「はい……えっと、私で宜しければ。お手伝い、いたします」
「本当ですか?! わあ、ありがとうございます!」
 ぱぁっとティスアが満面の笑みになり、ニルヴァーニアもつられて小さく笑顔になる。実際彼女の専門とは違ってはいるだろうが、珍しい言葉や文に対してはやはり、ニルヴァーニアも興味があったのかもしれない。
 それじゃあ、と2人は早速、広場に日陰を作る布の屋根の下のベンチに座ると、並んで紙を広げた。
 それらの紙は少し日に焼けてはいたが、虫食いや破れはなく、大切に扱われてきたのがわかった。
「あ……確かに、ある地方の言葉や、古い表現が使われているみたい、です」
 ニルヴァーニアは紙に目を通しながら、単語を指差した。

「これ、とか、そうですね……」
「そう! それわからなかったんですよ! どういう意味なんですか?」
「えっと、これは『干す』です。方言、みたいなものでしょうか……」
「なるほど! じゃあ、ここは『茶葉を干す』って書いてあるわけですね! あ、ちょっと待って下さい、メモメモ……!」
 ティスアはバッグからノートを取り出すと、さらさらとニルヴァーニアの説明を書き取る。
「こっちのこれは『赤い』と『緑』ですよね、それはわかるんですけど、こっちが……」
「あ、これは『果実』、です。少し古い表現です……けれど、緑と赤の果実、で今で言う、リンゴのことを表す言葉なんです……」
「リンゴ! わあ、そうなんですね! へえ、表現かあ、すごいですねえ」
 書き留めながらしきりに感心するティスアに少し照れながら、二ルヴァー二アは続けた。
「こちらは……『溶かす』です。なので、ここは、えっと……『砂糖を、2杯入れて溶かす』……」
「ふむふむ。じゃあ、こちらと合わせると『煮てから、砂糖を2杯入れて溶かす』ですね! わあ、文章になってわかってきた!」
 ティスアは子供のようにはしゃいで、うきうきとノートに文章を綴る。説明されているのは、どうやらリンゴなどの果物を使ったお茶の入れ方のレシピのようだ。
 今まで聞いたことのない変わった茶の説明に、ティスアは心が躍った。
「よし、こっちの文章は完成です! じゃあ次ですね」
「はい、ええと、『砂糖、杏、』……」
 言いかけたニルヴァーニアの言葉が止まった。しばらくある単語を眺めて、首を傾げる。
「え、っと……これは『カロ……』、……?」
「ん? なんでしょう?」
「……」
 ニルヴァーニアはその言葉を何度か繰り返し、口元に手を当ててもう一度首を傾げる。そして、申し訳なさそうにティスアを見た。
「す、すみません。文字は読めるんですけれど……これが何のことなのか、私、わからない、です」
 声と共にニルヴァーニアは小さくなる。
「あ、なるほど。そんな、気にしないで下さい! うーん、何かの名前でしょうか?」
「たぶん、そうだと思うんですけれど……。少し、待っていただけますか? 辞書を、取ってきます」
「わ、すみません! お願いします!」
 一度席を離れたニルヴァーニアは、何やら暑い本を持ってきて細い指先でそれを捲った。
「か、か、カロー、……うーん?」
「……載っていませんね。すみません」
 ニルヴァーニアが残念そうに肩を落とす。
「ということは、何かの通称かなあ?」
「もしくは、何かの種類名、でしょうか」
 その単語とにらめっこして、2人はううーむと考え込んだ。おそらく材料の1つなのだろうが、単語の意味がわからないのでは探しようもない。
 辞書にも載っていないのであれば、その単語を知っている人に意味を訊くしかないのだろうが……。
 そんな時、困った顔のまま無言で紙を見つめるその2人の前を、1人の青年が通りかかった。
「……? どうかしたのか?」
「えっ?」
 声をかけられて、2人同時に顔を上げる。その勢いに少し驚いたように、青年は目をぱちくりとさせた。
「いや、2人とも随分と考え込んだような顔をしているから」
「貴方は……」
 黒髪に黒い瞳。凛々しい雰囲気を纏ったその青年を、ティスアは見た覚えがあった。
「確か、学者さんですよね?」
「しがない見習いの身だけれどね。……ん? その紙……砂糖と、これは、アン、ズ、か? それと……カロールア。ああ、酒か」
 青年は何気なく2人の手元を覗き込み、さらりと言った。
「えっ?! お酒?! かろ、カロールア? を知ってるんですか?!」
「わっ」
 思わず立ち上がって声を上げたティスアに、青年は一歩後ずさる。は、と我に返ってティスアは赤面した。
「すす、すいません、思わず」
「いや少し驚いただけだ。確か貴女は、商人の方だな。買出しのときに見かけたことがある」
「はい、ティスアといいます、茶葉商人です。こちらはニルヴァーニアさん、学者さんです」
「ああ、貴女も何度かお見かけしたことがある。こんにちは」
 ぺこりと頭をさげるニルヴァーニアに、青年は頷いた。
「挨拶が遅れてすまない、私はアサド・ワッハーブ・マジュティだ。先ほども言ったが、学者見習い、というか助手をしている」
「アサドさんですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 アサドは丁寧に頭を下げた。真面目そうな青年のその一連の仕草には、何となく気品のようなものが漂っているようにティスアは感じた。
「ところであの、アサドさん。さっきの『カロールア』なんですけれど。ご存知なんですか?」
「ああ、知っている。酒の名前だ。宮廷料理の食前酒として嗜まれることがある」
「宮廷料理!」
 なるほど、一般的な言葉ではではなかったわけだ。宮廷などで使われる調合方法が書かれていると言われたことを思い出し、ポンと手を打った。
「もしかしてアサドさん、そういったものにお詳しいんですか?」
「ああ、まあ……多少は」
 アサドの返事に、ティスアとニルヴァーニアは顔を見合わせる。
「アサドさん! 今、お時間よければ、あのっ、お願いがあるんですけれど!」
「え?」


「……なるほど、そういうことか。ああ、私で良ければ力を貸そう」
 ティスアから一連の説明を受けたアサドは、快く協力を申し出た。ちょうど手が空いていたところだったという。
「本当ですか?! わあ、ありがとうございます! 2人も学者さんに教えていただけるなんて、私、すごくラッキーですね!」
 えへへ、とティスアは嬉しそうに笑った。元々童顔なこともあるが、こうして笑うと少し子供っぽいくらいだ。
 実のところこの3人の中で一番年上なのはティスアだったりするのだが、おそらく2人とも気付いてはいないだろう。
「さて、じゃあここは、『砂糖と、アンズと、お酒を入れる』と書いてあるんですね。次は、えーと」
「……『少し大きめのポット』、次に、ド、……? 『ドザール』……」
 再びニルヴァーニアが首を傾げると、今度はペンを片手にティスアが答える。
「あ、ドザールっていうのは、茶葉を計るスプーンのことですよ」
 そういうことならば、ティスアも詳しい。さすがは茶葉商人といったところか。
「ほう、そうなのか」
 ニルヴァーニアと同じくわからなかったらしいアサドも、感心したように呟いた。
「こちらは『これらを混ぜて』だな。こっちは、ええと?」
「それは『寝かせる』、という意味だと思います」
「なるほどー! 料理では寝かせる、って言いますもんね」
 やはり言葉に関しては、二ルヴァーニアの知識は豊富だ。地方独特の言葉や古い言い回しも、丁寧に解読していく。
「これは何て書いてあるんですか?」
「材料の、種類みたいですね……」
「ああ、これは香辛料の名前だ。北の方では交易品として取引されている。菓子にも使われることがあるな」
「わあ、さすがアサドさん!」
 ニルヴァーニアとティスアは尊敬の眼差しでアサドを見た。
「すごいですね! 3人で一緒に読んだら、綺麗に文章になっていって。何だか楽しいです!」
「うん、力を合わせると読めるものだな」
「そうですね」
 3人は思わず笑い合う。お互いの知識が、お互いを助ける感じがして、不思議と嬉しい気分だ。

 その後も、ニルヴァーニアとアサドに読んでもらい、助言をもらいながら、ティスアはさらさらとレシピをノートへと書き写していった。
 しかし、粗方訳し終わり、ティスアが最後のレシピをノートを書こうとしたときだった。
「……? えっと、これは……ガーネット……?」
 文章を訳していたニルヴァーニアが、言葉を切った。横からアサドが紙を覗き込む。
「なんだ? 『ガーネット、の、涙』……? ガーネット、あの宝石の?」
 ニルヴァーニアが辞書をめくるが、載っていない。学者2人は眉根を寄せた。
「何の、ことなのかしら……」
「すまないが、私も聞いたことがないな」
 名前からして、何かを形容しているようではある。アサドがティスアの方を見やるが、ティスアも困ったように首を振った。
「お茶関係の用語でもないと思います。聞いたことないです……」
「そうか。ではこの言葉はおいておいて、とりあえず他の部分を訳してみよう」
 3人は続けて他の部分を訳していったが、結局『ガーネットの涙』のヒントになるような言葉は出てこなかった。
 その言葉以外をすべて訳し、レシピが書けたノートを眺めながらティスアはペンの後ろを口元にあてた。
「文脈から、道具ではなくて材料であることは間違い無さそうですね」
「そう、ですね。おそらく、何かの形容か……特殊な呼び名、だと思います」
「ティスアさん、ノートを見せていただけるか?」
 はい、と手渡されたノートを眺め、アサドも自分の知識の中を探す。
 アサドの記憶が確かなら、ガーネットというのは宝石の一種で、一般的には赤いものがよく知られているはずだ。ならば、何か赤いものを形容しているのか? 涙というのなら雫のような形なのか、それとも液体か。いや、そういった形容ではなく女性の涙という意味で、美しさなどを表しているのかもしれない。
(だめだ、想像では答えに辿り着けそうにない。何か、それらしいものを見れば思い当たるかもしれないが)
 ノートをティスアに返しながらそんなふうに考えて、ふと気付き、アサドは言った。
「そうだ。それなら、市場に出てみないか? 店を見ていたら、何かその言葉に当てはまるものが思いつくかもしれない」
「市場ですか? そっか、そしたらついでにいま教えていただいたものの材料も買えますね!」
 もう一度ノートを確認しながら、ティスアも同意して頷く。
「私も同行させてくれ。そのお茶にも興味があるし。せっかくだから、貴女も一緒に行かないか?」
「え?」
 思わぬ誘いにニルヴァーニアは少し戸惑った。
 彼女は普段、あまり色んな人と会話をしたり、市場を出歩いて買い物をするタイプではない。学者ということもあってか、大勢の人々とやり取りをするよりも、本に向き合っている方が気が楽だった。しかし先ほどの茶や材料への興味と、アサドとティスアの笑顔に惹かれるのは確かだ。
 髪をつい弄ってしまいながら少し迷ったが、にこにこしたティスアと、柔らかな物腰のアサド、2人の言葉に背を押されるように、控えめながらもニルヴァーニアは頷いた。
「はい……では、ご一緒させて下さい」
「わあ、やった! じゃあ行きましょう!」
 こうして3人は、連れ立って市場へと出かけることとなった。

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