青碧の地にて
「サーティウ!」慌てクライズクラウは彼女の腕を強引に掴み、引き寄せる。
彼女は砂に足を取られ転ぶことになってしまったが、それでもその起き上ったモノから離れるには十分だった。
隆起した青碧はそのまま空へ空へと動き、一本の幹を思わせる姿を現した。
その幹は頂点をゆっくりと傾げると、此方へ向けるように動かす。
傾げた先より二股に分れた舌が細かく揺れ動き、ぎょろりとした金色の瞳が三人を捉えた。
その姿は。
「………へ?」
「…び………」
「蛇だー!」
サビの大声を皮切りに大蛇はその身体をくねらせ、まずは倒れる二人を一飲みにせんと大口を開け襲いかかる。
たん、とサビは空を蹴り、二人を背に降り立った。砂を撫でるように指を空に滑らせれば、その指に呼応するかのように砂がざわめく。
大蛇の影が三人に掛かる。そして身体自体も覆い被さろうとするその瞬間、サビはざわめく砂に合図を送る。
「皆ー行っちゃって!」
砂がサビの指に合わせ、柱を作る。それが大きくうねると思えば、一つの濁流となり大蛇の口を目掛け飛んで行く。
大蛇は一瞬に口を閉じ、身体を捩るが完全に避けきるには足りず濁流に大きく後ろへと押し流された。巨体だけあり、動きが鈍いらしい。
「大丈夫ー?」
サビがその場にそぐわぬ気楽さを持たせ、クライズクラウの前に降りてくる。
思わず此方も気を抜いてしまいそうになるが、そのような場合ではないのだろう。
「嗚呼、なんとかな。嬢ちゃんは………嬢ちゃん?」
「………え、だ、大丈夫よ!ぜ、全然なんともないわ!」
サーティウは腰をついた状態であったが、クライズクラウに声を掛けられると慌てた様子で立ち上がった。
「…嬢ちゃん、もしかして」
「そんなことないわ!」
皆まで訊くことなく否定される。これ以上は触れない方がよさそうだ。
低く唸る声が三人に届く。再び大蛇が砂上に現れた。
青碧の砂の地の正体は大蛇だったのだ。あの老人には砂漠に潜った大蛇にかかる砂がその下の皮膚の色を映し、砂そのものの色が青碧に見えたのだろう。
場所が北西ではなく南西にあったのも、この大蛇が移動したことに他ならない。
「なんなのよこいつ、薬草採りにきただけなのに!」
「ティウ!あいつの頭見て見て!トッコウトッコウ!」
「…へ?」
サビが大蛇の頭に何かを見つけたようだ。
大蛇がまた大きく唸る。ぐ、と力を込めたと思えば砂の中へと潜って行く。
砂が巻きあがり地響きが起こる中、一瞬だけ大蛇の頭を見ることが出来た。
それは先程サーティウが見つけた若草。苔のようにびっしりと大蛇の皮膚にへばり付いていた。
「嘘…あれを取ってこいって言うの!?」
足元がまたぐらりと揺れる。
咄嗟の判断だ。サビはまた高く空へ、そしてサーティウは地面を蹴りクライズクラウを押し倒すように砂へと跳んだ。
次の瞬間、先程まで三人が居た場所を大蛇が大地ごと飲み込んだ。
素早く体制を立て直し、サーティウは腰のナイフを引き抜けば低い位置にそれを構えた。ナイフに目配せをするが、中の鴉から返事はない。
「…やるしかないじゃない、ねぇ貴方」
「…っ、なんだぃ」
口から砂を吐き出し、クライズクラウは応える。
「自衛は出来るの?」
「………勘、弁」
自衛どころか、武術の真似事すらやったことはない。
その返しにサーティウが落胆したことを背中越しであったが感じた。
「もう…男ならしっかりしてよ」
「莫迦言え、それに女だ!」
「……嘘ぉ!?」
「嘘じゃねぇって…ほら、前見ろ!」
クライズクラウが急かす頃には大蛇は既に眼前にまで迫っていた。
そこにまた砂の濁流が大蛇を押し流す。サビの魔法だ。
「ライズは後ろ下がってるー!」
「下がってろって言ったってなぁ!」
後ろに下がるとは言っても障害物一つとない砂漠の中だ、姿を隠すことなど到底出来はしない。
「とにかく、私たちの後ろに居て!あまり遠くにならないぐらいに離れて!」
離れ過ぎればもしものときに対応が間に合わない。
クライズクラウは二人を一瞥すると、一つ頷き言葉に従った。
「取り敢えず、薬草が取れればいいの。………サビ取ってこれない?」
「あいつ近付くと怒るんなー」
「…当たり前よね」
特に薬草があるのは大蛇の頭部だ。それも張り付くように生えているのだから、余程近付かなければ取ることは叶わない。
更にこの大蛇は今余程に機嫌が悪いようだ。中々捕まらない獲物に苛立つように不気味な声を上げている。
そして再度、その巨体を砂に埋め始めた。また奇襲を仕掛ける気なのだろう。
明らかに分が悪いのは確かだが、更に一つ悪くさせる要因もあった。
「………もうこんなに大きいの見るのも嫌なのに…」
ぽつりと、サーティウが呟く。サーティウにとって、蛇は何よりも苦手とする相手なのだ。
それがここまで巨大であり、かつ彼女の相棒とも言えるルフが離脱中ともあればこれ程にまで相性が悪い相手も居ないだろう。
もう一度きつくナイフを握る。
「サビ、追い返すことなら出来る?悔しいけど、貴方が頼りなのよ」
無理に挑むのは得策ではない。
時間を稼ぐにも二人では限度がある、追い返すことが出来れば応援を呼ぶことも出来るだろう。
「タヨリ?ティウがオレにお手紙出すん?」
「…そうじゃなくて頼ってるってこと!もうこんな時に!」
「おお!頼り!オレ頼られてる、オレ頑張んネー!」
余程嬉しいのか、サビは弾けるように笑う。そしてまた、空に指を滑らせた。
なだらかに円を描けば、砂が徐々にざわめき始める。だが、先程のざわつき方とは違う、まるで何かを狙っているかのように砂はサビの指示を待つ。
やがて足元が揺らいだ。大蛇が来たのだ。
大蛇が大口を開け砂上に現れる。そのタイミングを狙いサビは腕を掲げた。
「囲んで囲んでー捕まえてっ!」
ざわめいた砂たちがその瞬間、幾つもの縄となり大蛇を囲った。その縄は互いに交差し合い、大蛇を捉える巨大な網と化す。
大蛇から見れば突然網が眼の前に現れたのだ、避けられる筈もなく自らその中へ飛び込んだ。
サビは更に宙を撫でる。すると砂の網がざわめき、それに合わせるよう大蛇が地に飲まれて行く。
網の縄が徐々に縮んでいるのだ。
「やるじゃない!」
「オレやる!ふふーん」
サーティウの言葉に、サビは得意気に胸を張る。
その時、大蛇の眼が鈍く光った。
ずるりと、地下で何かが這うように足元が不気味に揺れる。
その音がサーティウの足元を過ぎたとき、彼女はハッとして振り返る。
「クライズ!逃げてっ!」
「…え?」
何事かと、遠く離れた場所でクライズクラウは眼を丸くした。その足元を何かが這い、クライズクラウの背でぴたりと止まる。
僅かな静寂、それを突き破るように砂を巻き上げ背に青碧の柱を立てた。
大蛇の尾だ。
「うわぁ!?」
サビも大蛇の行動に気付いたようだ。だが、今からでは術の組み立ては間に合わない。
そもそも大蛇の動きを封じるに手一杯なのだ。
ずるり、尾がクライズクラウの真上に上げられる。
「…っ!」
息が詰り、足が動かない。
その彼女に向い、尾が振り下ろされる。その刹那、サーティウのナイフが俄かに鼓動した。
―…ひゅん
風を切る音と共に黒い線がクライズクラウの前を過ぎ去った。目に映ったのは僅かそれだけ、次の瞬間には振り下ろされた筈の尾は身を捩るように反りかえり、鱗の合間に一文字の傷をつけていた。
尾はそのまま砂に倒れ、埋もれて行く。
そしてその黒い線は一枚の羽根を落とし、サーティウの肩に止まった。
「…!貴方、怪我してたんじゃなかったの!」
彼女の相棒である鴉は素知らぬ顔でしゃんと肩の上で筋を伸ばす。
まるで怪我などなかったかのような佇まいにサーティウは思わず言葉を失くした。
「ティウ!こっち!」
サビの声に意識を戻す。
先程の鴉の一撃で激昂したのか、大蛇が暴れているのだ。
牙が網の縄にかかり、サビの力を押し返せば縄の一本を噛み切った。
その迫力にサーティウは僅かに足を下がらせる。
「ティーウー!」
「…っ!もう、分かってるわよ。…期待はしないでよ、ほら貴方も行ける?」
そう投げかけると、鴉は頷くようにサーティウの肩から離れ飛翔する。彼女の上をゆっくりと旋回するのを確認すれば、再びナイフを構えた。
大蛇は一つ、また一つと縄を千切っていき、やがて動きを封じていた最後の一本に牙が掛かる。
サーティウは一度きつく目を瞑り、大きく息を吐く。そして意を決して見開いた。
最後の一本を大蛇が噛み切った、それと同時に、サーティウはナイフを一気に降り上げる。
上空の鴉が大きく羽ばたいた。
怒りに任せ飛びかかろうとする大蛇の身体を何かが引き寄せる。
その何かはずるり、ずるりとその巨体を砂の底へと引き擦り込ませて行く。
鴉が作った、大蛇の為の蟻地獄だ。
「凄いんなー!後はオレに頼ってー!」
サビが両の掌を力一杯に広げれば、蟻地獄の周りの砂がざわめいた。
ざわめいた砂は雪崩のように蟻地獄へと流れ始める。蟻地獄は大蛇を離さず、上からは砂の雪崩が襲いかかる。
徐々に大蛇は砂の底へ消え、蟻地獄も砂の雪崩に埋もれ其処には平らな見覚えのある砂漠が広がった。
「………終わった、のか…?」
漸くあってクライズクラウが呟いた。多分、そうサーティウが言葉を繋げようとしたとき、ぐらりと地面が揺れた。
足元を何かが這う感覚が伝わる。また現れるのかと、三人は身構えた。
しかし、それは三人を通り過ぎれば遠くへ遠くへ進み、やがて地面の揺らぎも収まった。
「…逃げた?」
「逃げちゃった!」
サビの明るい声が宣言となり、二人は漸く詰めた息を吐くことが出来た。
「そうよね…あんな奴勝てるわけないもの」
「…どっちみち命縮んだぜ。けど、嬢ちゃんも坊主もありがとな、助かったぜ」
礼を述べればサビが嬉しそうに手を叩く。
サーティウは気恥ずかしいのか、頬をかけばそっぽを向かれてしまった。
「殆どサビがやってくれたようなものよ。それより!貴方は大丈夫?」
「大丈夫だって………あー…」
何かに気付き、クライズクラウは言葉を詰らせた。
そして、言い難そうに改めて応える。
「………悪ぃ、腰抜かしたみてぇだ」
縫いつけられたように腰が上がらないクライズクラウは降参と手を上げた。
「もう、しょうがないわね」
サーティウが軽やかに笑いだせば、酷い奴だとクライズクラウもつられ笑う。
そんな二人の間に黒い羽根が一枚舞落ちる。いつの間にか鴉が定位置とばかりにサーティウの肩に収まっていた。
「貴方…っ、怪我はどうしたのよ!態々こうして薬草探しに来たのに!」
鴉にはやはり傷らしい傷はないらしく、彼女の言葉を涼しげに受け流しているように見える。
「どうやら、単純にちょいと休めば大丈夫だったみてぇだな」
「そんなぁ…」
思わず、サーティウも砂の上に座り込む。
この鴉の為に此処まで足を運び、苦手である蛇の相手までした結果がこれなのだ、無理もないだろう。
その時、何やら離れたところで砂を弄っていたサビが歓声を上げる。
「ティウー!ライズー!見て見てー!」
手に何かを握り締め、サビが二人のところへやって来る。
「見て見て!トッコウ!」
「えっ!?」
どうやら先程網で捉えたとき、縄に大蛇の頭部が擦れ薬草が剥がれていたようだ。
反射的にサーティウは立ち上がり、サビの手からそれを受け取る。確かに、その若草は大蛇の頭に生えていた薬草そのもののようだ。
だが、褒めてと言わんばかりのサビとは対照的に、それを見遣る二人の表情は一瞬に曇った。
「こいつはどう見ても…」
「………唯の苔、よね…?」
それは薬草に対して素人の二人から見ても分かる程に、見慣れた苔であった。
「…ま、まぁ、見かけで判断は出来ねぇからな、一度持って帰って」
「嗚呼、もう!」
クライズクラウの言葉を遮り、サーティウは声を上げる。
鴉はまた空へと舞い上がり、追いかけ遊ぶようにサビも続く。
元気な姿を見せる鴉を見上げ、疲れ切ったように彼女は呟いた。
「…こんなことなら、隊商の先輩に頼みに行くんだったわ」
後に、この薬草が唯の苔だと分かったのは、また別の話。
《前のページ》