奇怪の塔




「これがこいつの本体か。情けねえもんだなあ」
 いつ取り出したのやら、煙管を咥えたカームがのんびりと言った。
 彼とムハンナド、そして階段を降りてきたスフラ、三人の目線の先で、生きた水球はぶるぶると震えている。
「どうしよう、これ」
 スフラが困ったように呟いた。
「召喚士のところにでも連れて行くべきじゃないか。良いようにしてくれるだろう」
 ムハンナドの言葉に水球はますます激しく震え、その場を何度かぐるぐると回った。
「人に害を与える魔物だ。どう処理されても致し方あるまい」
 彼が言うや水球は、何度か魚の跳ねるように飛び上がった。
 ムハンナドは思わず眉根を寄せた。
「何を言いたいんだ」
「何なんだろうね……」
 スフラも首を傾げた。その隣でカームは我関せずといったように煙管をふかした。

 ――その途端、先ほどの煙に似たルフが、ぽんと飛び出た。

 驚くスフラとムハンナド、二人の目の前をルフはふわふわと通り過ぎる。
 そのまましばらく空中を漂ったのち、ルフは水球の傍に降りていった。
 白い姿が水球の表面を撫でるように通り過ぎる。途端そこには氷が張った。しかしそれはすぐにぱっと砕け散り、ルフはおびえたようにカームの元に戻った。
 カームは煙管を咥えたまま苦笑した。
「おいおい、しっかりしろよ」
 主の言葉が分かったのだろうか、ルフは再び水球に近付いた。
 今度は水球に触ることはせず、静かに周りをたゆたうばかりである。水球も暴れるようなことはなく、時々静かに身を震わせるばかりだった。
 何か会話でもしているかのように見えないこともない様子だった。


 無意識のうちに息を詰めて見守ることしばし、ふいに煙管のルフが浮き上がった。
 そのままルフは元の居場所であるカームの煙管に消える。
 その途端、今度は水球が弾けるように飛び上がった。
 そしてスフラとムハンナドの間をすり抜け、反対の壁際へと飛んで行った。

 そこというのは上へと向かう階段の陰、脚を二本失った椅子のあるところだった。
 ムハンナドとスフラはそちらへ歩み寄り、椅子の下を見やった。
「……あ」
 スフラが声をあげた。彼女の驚きの要因はムハンナドにも理解できた。

 そこでは、もっと小さな水球がふるふると揺れていたのだ。
 ――先ほどまでここにあった水たまりの正体だと理解することは容易だった。


 大きい水球は、一気に活力を取り戻したように見えた。小さな水球の周囲を凄まじい勢いでぐるぐると回っている。
 小さな方の水球もまた、それに応えて何度か跳び上がった。
 何度目かの跳躍で、小さな水球は大きな水球に並んだ。

 その途端、二つは揃って上昇し、窓の外へ飛び出した


 スフラがあっと声をあげて窓辺に駆け寄った。ムハンナドはその背後から歩み寄って外を見渡した。

 いつしか雨は止んでいて、砂漠の厳しい太陽が再び、目を灼くほどに照りつけていた。
 その光のもと、二つの水球の姿はもはやどこにも認められなかった。


「なるほどなあ……そういうことかあ」
 背後から呟かれたカームの言葉に、スフラとムハンナドは振り返った。
「カームさん? どうしたの? 何がそういうことなの?」
「あの魔物だよ」
 こともなげにカームは笑む。
 困惑しきったスフラが眉を下げた。
「あれがどうしたの? 何で水球が二つあったの? 分かったのなら教えて」
 言いつのるスフラに、カームは苦笑した。
「そう迫られてもなあ」
「でも……気になるもの」
「じゃあ言うけどな……ありゃあ親子じゃねえかな、ってことだけだよ」
「――親子?」
 予想もしなかった言葉に、スフラとムハンナドは瞬いた。
「魔物に本当に親子なんてもんがあるのかは知らねえけどな。大きいのと小さいのがいたからそう思っただけだよ」
 言ってカームは笑んだ。
「子どもの魔物の方が迷子にでもなったんじゃねえかな。でもって親は必死に探してたわけだ。その時に俺たちがたまたま子どもの傍にいたから、敵と勘違いしていきり立ったのかもな」
「そう……なの?」
「いや、本当のところは知らねえよ? ただ、俺の妹夫婦が娘を可愛がってる様子思い出して、何となくそんな気がしたわけさ」
「そうなんだ……」
 スフラがぽかんと呟いた。
「何にせよ、奇妙なこともあるもんだなあ」
 ゆるく笑ってみせてから、カームは大きく伸びをした。
「――さあて、宿に戻って寝るか」
「あ、私も! 晩のごはんの下ごしらえしなくっちゃ」
「そうか? んじゃ、戻るか」
「うん!」



 スフラとカームの足音が階下に遠ざかっていく。
 それを後ろに、ムハンナドはもう一度部屋の窓から、何もない外を見やった。
「――ムハンナドさん?」
 まるで様子を見透かしたかのように、階段の向こうからスフラの声が聞こえた。
 軽く笑みをこぼして、ムハンナドはその方向に足を向けた。


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