相反するもの
 斜め下へと伸びた穴は、思いのほか広い空洞に繋がっていた。
 噂される地下道の一部なのだろうか。天井は背の高いムハンナドでも問題ない程度の位置にあり、僅かに湿ったような匂いがした。
 明かりは頭上の穴から差し込む僅かな陽光しかない。それに頼って眼を凝らし、学者と少女の姿を探した。


 すれば奥の方に、それは見えた。 
 怯えた山羊のように縮こまった学者と、座り込んで後退る少女。

 そして二人を追い詰めているのは、長い首をした、巨大な亀のような生き物。
 言うまでもない、――魔物だ。


「あれですか」
 後を追ってきたヨミが囁くのが聞こえた。
「あなたの武器じゃ無理でしょうね。私が片付けてしまいましょう。――ムロムロ!」 

 鋭い呼び声にすぐさまルフが飛び出し、魔物の顔付近に食らい付いた。
 しかしそれも一瞬、即座にルフは弾き飛ばされた。甲羅のごとくに黒光りする魔物の皮膚が固すぎて、爪も歯も立たないようだった。

 ルフをあっさりと振り払った魔物は首の向きを転じ、嘴状の口を学者の頭上で開いた。
「ムロムロっ!」
 ヨミの叫びに、ルフは身を震わせて再度飛んで行く。
 しかし体躯の差の空しき、大きく振るわれた魔物の首にまた弾きかれた。さらにはその際の風圧で、学者まで壁際に吹き飛ばされていった。
 飛んできた相棒を受け止めたヨミはよろめき、ルフは主の腕でくたりと力を抜いた。


 その隙に魔物が一歩前へ出た。
 そして凍り付いているザビエラの上、覆い被さるように首を伸ばした。


 ――危ない。


「ザビエラ!!」
 咄嗟、間隙に飛び入って魔物の嘴を棍棒で抑えた。次の瞬間鈍い音がして、棍は魔物にあっさりと咬み折られた。
 なればと一瞬の判断で、折れた一片を彼は魔物の口腔に真っ直ぐ突き立てた。

 突然に嘴のつかえた魔物は、唸り声を上げて首を振り上げた。
 その隙に魔物の首の付け根、甲羅との隙間に、手に残った棒のもう一片を突き刺した。


 途端に青い血が噴き出して、ムハンナドの全身を濡らした。魔物は空洞全体を震わす絶叫とともにのたうち回った。
 盲滅法振り回される首が礫や砂を弾き上げる。頭を腕で覆って、身を縮めるザビエラを背に庇った。



 そこにヨミの声が飛んだ。
「今です! ――かかりなさい、ムロムロ!!」


 すぐさまルフが血の滴る喉笛にむしゃぶりつき、そこから爪で真一文字に引き裂いた。
 青い飛沫とともに魔物の首が落ち、数拍遅れて身体が崩れた。
 高く砂埃が舞い上がって、そして静かになった。


 砂塵の向こう、魔物がもう動かぬことを確認して、ムハンナドは背後を振り返った。
「……ザビエラ」
 少女は大きな目をしばたたいてから、ぽつりと呟いた。
「……おとろしかった」
 場に似合わぬ響きのその言葉に、ムハンナドは思わず苦笑を零した。


 依頼主の学者はその一部始終を、すっかり腰を抜かして見つめていた。
 そこにヨミが歩み寄り、放り出された脚を軽く蹴飛ばした。
「ほら、立ちなさい。上へ戻りますよ」
 学者は呆然と頷いた。しかし脚の使い方を忘れてしまったようであって、結局ムハンナドに引っ張り上げられる羽目になった。
 ヨミの頭上、大手柄のルフはそれを、平時どおりの困ったような顔で見つめていた。

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