乙女の依頼
 医者の天幕は静かだった。
 戸布を持ち上げてアミナと一緒に覗いてみると、中には中年の男性医師がひとりいるだけだった。薬でも調合しているのだろうか、大きな鉢を抱えて、その内側を棒でこりこりと擦っている。
「患者さん、誰もいないね」
 コランサイファが囁くと、アミナも頷いた。
「そ、そうね……」
「ちょうどいいや、行こうっ」
 言ってアミナの手をぐいと引いた。
「ええ……あ、で、でも、どうせ訊くなら女のお医者さんが……」
 まごつく声はされど無視して、天幕の中に踏み入った。
「おじさーん」
 呼べば男性は今気付いたかのように振り返り、鼻先に引っかかっていた眼鏡を押し上げた。
「はい、どうしました。何か体調不良かな?」
「違うの、このお姉さんが質問あるんだってー」
 言いながらアミナの背中をどんと突いた。
 アミナはわたわたと押し出されて、医師の目の前で急停止した。
「どうしました。さ、とりあえず座って」
 医師は鉢を余所へ置き、こちらへ身体ごと向き直って微笑う。眼鏡の奥の細い眼がさらに細くなった。
 なんだか胡散臭い人だなあ、と失礼なことを思いながら、コランサイファは適当な場所に腰を下ろしてアミナを見やった。すれば彼女は、とりあえず医師の真正面に座ったはいいものの、それきり怖じ気づいたように黙り込んでいるのだった。
「おねーさん……ほらっ」
 情けないなあ、と思いながら、隣ににじり寄って肘でつついた。
 すると彼女は漸く、小さく消え入るような声を発した。
「先生、あの……、太らない方法というか、あの、そういう方法って、ないですか……」
 それだけ言ってアミナは、また赤くなって顔を伏せてしまった。
 その相談内容に、男性医師は案の定驚いたようだった。細い眼を瞬いて、彼はしばしアミナを眺めやった。
「……なんだ、痩せたいんですか?」
「……はい」
「何でまた、僕のところに?」
 医師は怪訝そうに頭を掻く。答えそうにないアミナを見て、コランサイファは脇から口を挟んだ。
「あのね、ボクが、そういうこと訊くならお医者さんが一番いいって思って、連れてきたの」
 すれば医師は、ああ、と頷いた。
「そうだったんですか。でもあなた、別に太ってないでしょう」
「え?」
 アミナは嘘だ、と言わんばかりの顔をする。医師は全く気にした様子もなく続けた。
「それに女性はある程度脂肪がついてるのが自然でね、無理に痩せようというのは」
 へえそうなんだ、とコランサイファがひとり納得した、そのとき。

「で、でもっ!」
 突然にアミナが立ち上がったものだから、コランサイファは思わずびくりと身体を震わせた。

「今度、好きな人と一緒に仕立屋さんに行くんです!」
 今にも泣き出しそうな顔で、アミナは両の手をぎゅっと握り合わせる。
 聞いている二人を軽く唖然とさせる程度の剣幕だった。
「そしたら採寸したりするでしょ、その時に彼にがっかりされたくないんです、すらっとしてたいの……!!」

 そこまでまくしたてたところで、アミナは全ての勢いを使い果してしまったらしかった。
 彼女は大きく息をついて、それからしぼむように座り込んでしまった。


 しばしの沈黙、それは医師の溜め息で破られた。
「……仕方ないですねえ」
 その言葉にアミナがばっと顔を上げた。
「あんまりこういうことはしたくないんですけどね」
 医師はアミナを見返して微笑み、それから手近の本を拾い上げた。
「そうですねえ、食事の仕方とかで多少は効果が出るかもしれませんね」
 ぱらぱらと本を捲りながらの言葉に、アミナは慌てたように返事をした。
「は、はい」
「食事を抜くのは駄目ですよ。逆に身体が脂肪を蓄えますからね」
「はいっ」
「間食はできるだけ控えた方がいいですね。……まあ、難しいものですけれどね、これは」
「……はい」

 そんな調子でお医者先生は、こういう食材をこういうものと組み合わせるとどういう効果が、とか、面白い話をあれこれしてくれた。

 必死に聴いているアミナの横で、コランサイファも興味を惹かれて身を乗り出した。
「ボクもやってみたいー」
 しかし医師にはあっさりとあしらわれてしまった。
「君はまだ小さいからこういうことはしちゃだめだよ」
「えー」
 口を尖らせたが、アミナ以上に大人らしい彼には、それ以上一顧だにしてもらえなかった。


 ともかくアミナは結局、スィナンと言う名のこの医師の助言に従って痩身の努力をすると決めたようだった。
 結果が気になるところだったコランサイファは、その後しばらくしてから、もう一度医師のところを訪れた。


前のページ》  《次のページ