依頼
<詩人と護衛、神域にて>



 本日のラッキーアイテムです。
 そう言って先刻呪術師に渡されたキャンディの瓶の中身は、既に当初の半分近くに減っている。
 マリアールは口に放り込んだ飴を転がして咽喉をなだめながら周囲を見渡した。
 四人は先ほどからひたすら歩いていた。遺跡の中――それも、神域の中に封じられていた遺跡の中である。

 アクラムが三人を導いたのは、本来立ち入りが禁止されている“神域”の中だった。
 いいんですかー? とマリアールは騒いだが、この町の子供たちにとっては格好の探検場所なのだろう、アクラムの歩みは迷いが無かった。因みにソティスとバッサームは些かの反応も見せずにさっさとアクラムに続いて禁域に踏み込んだ。
 やがてアクラムは、奥まった位置に木々に囲まれてあったひとつの石碑の前で足を止めた。町中の石碑と趣を異にするそれには一部剥されたように装飾のタイルがはずれた箇所があり、そこへあの布を当てるとひとつの譜面が完成した。
「素敵なメロディですねえ……」
 碑に浮かぶ紋様を隅まで目で追って、ほう、と詩人は溜息をつく。といわれても想像もつかないソティスがマリアールに尋ねた。
「どんな歌なの?」
「ええっと、歌詞はないみたいなんですけど……こんなうたです!」
 すうと息を吸い込み、目の前で両手を組んだ少女の身体からするりと透き通った声が流れ出す。紡がれる旋律に、少年が驚いたように振り返る。
「それ……っ」
 しかしその先は声にならなかった。
 その時、四人の足元の地面が文字通りぐらりと揺らいだのだ。石碑を覗き込んでいたソティスが咄嗟にマリアールとアクラムの腕を掴み、数歩飛びのいた。何が起きたか判らない、とでも言いたげに、少年と少女は口をぱくぱくとさせている。
「えええ?」
 調度碑の手前の地面がざわざわと揺らいで――ぼかり、と崩落した、ように見えた。崩れていった土にちらりと脚が生えていたようにも見えたのは――気のせいだろうか。目を丸くするマリアールの目の前で、突然現れた、地下への通路の入り口が口を開けていた。

 それからずっと、この通路を歩いている。
 一旦地下へと下ってまた上り坂になった後は、半地下の通路がずっと続いていた。天井はなく、見上げれば生い茂る緑の木々が見え、梢の間に幾分高度を増した太陽の姿が見えた。まだ神域の中であるらしい。時折行き止まりかと思うと近くの壁面に必ず譜面が画かれ、それをマリアールが歌い上げると道が開く。既にそれを何度か繰り返していた。張り切りすぎて、ちょっと咽喉が痛い。
 そろそろ外に出られないかな。
 明るい日差しを振り仰いで目を細めた時、ぼそりとした男の声が耳を打った。
「ソティスさん、お仕事ですね」
 唐突に話を振られたソティスが「なんだと?」と聞き返そうとして、その場にぴたりと固まった。同じく、少年と少女も前方の“それ”を認めた途端に硬直する。行き止まりだ、それ自体は今まで何度かあった、のだが問題は。
「なんだあれ!」
「おおおおお、おっきい、蜘蛛――」
 のような、
「魔物!?」
「かどうかは判りませんが、虫じゃありませんね」
 出口らしき扉を護る様にしがみ付く土色のソレは、もつれるように生えた足を絡ませて此方を睥睨している。だが大きい。扉一枚を覆う大きさなのだ。
 三人の目が自然、護衛であるソティスに集中した。顔面を蒼白にしたソティスはぎぎ、と顔を引き攣らせ、たっぷり何拍かの間を置いて――
「おのれええええ!」
絶叫と共に、きっと振りかざしたアムードが風を切った。

 マリアールさん、マリアールさん。
 
 目の前で繰り広げられる光景がマリアールの五感を鈍くしている。よく聞こえない。鼓膜に一枚、薄皮がかかっているような気がする。
 何ですかぁ、と口に出した積りだが声になっていなかったかもしれない。視界で、呪術師が何かを指差す。
 あれ、あれ。
 示された先の壁には、例の如く楽譜。
 はっと我に返るマリアールの耳に、ソティスの叫びがやっと明瞭に届いた。
「マル! 早くぅううう!!」
「はははははいぃいいい!!」

 ソティスの叫びに弾かれるようにマリアールは壁へ飛びつき、そして声を張り上げた。
 透明な声が空隙に広がり縷々と音を紡ぐ。
 その歌が届いた途端、魔物はぴたりと動きを止め――ずるり、と形を無くして土に解けた。ソティスががくりと膝をつき、肩で息をする。がらり。何度か聞いたような音がして、目の前の扉がぼろぼろと崩れ落ちた。
「だ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫だ……何とか」
「アメ舐めますか!」
「お疲れ様です」
 口々にかけられる声に答えてソティスはアムードを支えに立ち上がり、マリアールの差し出した飴玉を口に放り込んでじとり、呪術師を睨む。怖い怖い、と呪術師がひょいと前方に目をやった。はっと気付いてアクラムが駆け出す。マリアールがその後を追う。
 最後の扉が、開いていた。

前のページ》  《次のページ