予祝の音
別に私の私有する天幕というわけではないですが、と案内されたのは、人が四人も入ればいっぱいになってしまうような小さな天幕で、吊るされた角灯の下、先客の姿が見て取れた。
「あら、貴女も一緒だったの。怪我、なかった?」
ついさっきされたのと同じ質問をしたのは、もう一人の恩人だった。おそらく、二人は見張りや護衛をする際に、同じ班に振り分けられているのだろう。
イアマールは、おかげさまで、と変わり映えしない返答を繰り返し、一言断ってから天幕の奥へ入る。薄い絨毯の敷かれた床へ腰を下ろし、人数の関係で、自然に三角形を作るように食事の盆が並んだところで、ようやく恩人たちの名を知ることになった。なにしろ隊商の構成員は三桁に達するほどである。顔くらいは見かけたことがあっても、名前を知っている人間というのはごく限られていた。職業が違えばなおさらだ。
召喚士の若者はヨミと名乗り、ついでのように二十歳を超えていることを明かしてイアマールを驚かせた。イアマールとて年齢については誤解されることが多いのだが ―― ただし、ヨミとは逆の意味で ―― 、とても信じられない、と口には出さないまでもついまじまじとその顔を見つめてしまった。
「私も、年上だって知ったときは驚いたわ。全然そう見えないんだもん」
イアマールの心境に賛同を示したのは、弓使いのリーフ。自分は驚かれるような年齢ではない、と前置きして二十歳だと告げる。こちらは年相応といった感じだ。先刻は外套に包まれて見えなかった色鮮やかな服装が、服飾商人としてのイアマールの関心を引く。
(あとで何処で買ったものか、聞いてみたいわね)
当座の好奇心をしまいこんで、イアマールも自己紹介をした。名前と、職業。それから、年齢を付け加える。
「あたしは十五よ。もうすぐ、十六になるけど」
へぇ、と少しばかり驚きを含んだ返答がかえったが、いつまでもそんなことを話していても仕方が無い。食事が冷めきる前に頂きましょうと言うヨミに女二人が頷いて、そこで一旦会話は終了となった。
簡素な器に盛られた羹はややぬるくなっていたが、食物を体の中に取り入れることで胃袋からじんわりと熱が広がる。塩と香辛料で調えられた羊肉は臭みもなく、噛み締めるとじゅわりと旨味の詰まった汁を滲ませ、野菜は芯までとろりと煮られていた。パンの表面には、つい数日前まで滞在していた町で手に入れたと思わしき乾酪(ジュブン)が小さく千切って散らしてあり、独特なその乳の匂いを伝えてくる。
普段よりも簡単な献立だが、決して粗末ではない。手早く、しかし美味しい食事を作った料理人たちに感謝だ。ただ量としては常より少なめであることは確かなので、おいしいという言葉を間に挟みながら他愛ない話をしていると、食器はいつにも増してあっという間に空になった。
ごちそうさま、と木匙を置くと、間の抜けた沈黙が落ちた。一拍おいて、リーフがその場を代表するように口を開いた。
「……まだ、ちょっと物足りないかな」
といっても、おかわりが欲しいほどではない。同意を示して頷いたイアマールは、ふと思い出して腰に下げていた鞄に手をやった。
「あたし、棗椰子なら持ってるわ。一緒につまみましょ」
「それなら、私も……はい、これ、食べていいよ」
盆で囲まれた三角形の中央へ、棗椰子と南瓜の種が入った袋がそれぞれ置かれる。
「では、私はお茶を淹れましょう。食後ですから、さっぱりした口当たりのものが良いですかね」
ヨミは俄かに浮き浮きとした様子で、自分の荷物から茶器と茶筒を取り出した。その手馴れた様子を、イアマールは興味深げに見守る。
ほどなく、ふわ、と淡い金緑色の水色からたちのぼる芳しい湯気に、イアマールとリーフはまるい吐息を漏らすこととなった。ほう。自身の呼気までも芳しくなったようである。
ひとくち含むとたちまち爽やかな花の香がひろがり、口の中に残っていた料理の脂や棗椰子の甘みをさらりと流す。
「おいしい」
「うん、おいしい」
「ふふん、当然です。見目よし、香り良し、味わい良し! お茶は至高の飲み物ですよ」
ヨミは満足そうに言い、自分も茶器を傾けた。
「ふぅ……」
小さな器は、あっという間に空になってしまう。余韻を楽しんでいると、もう一杯いかがですか、と声を掛けられ、イアマールは遠慮なく頷いた。私も、とリーフが続く。
茶葉を蒸すのには数分掛かると先ほどの手順を見ていてわかったので、その間に女二人で用の済んだ食器を片付けてしまうことにした。空の器と盆を重ねてしまえばイアマール一人でも運べると言ったのだが、もう日が暮れているということもあり ―― この辺りでは野盗の心配は無いだろうが、夜は魔物の領域である ―― リーフと連れ立って天幕を出た。
「といっても、こんなに風が強くっちゃ弓矢は使えないけど」
「ふふ、一緒にいてくれるだけで心強いわ」
なるべく篝火に近い道を選び、点在する天幕を砂避けの盾代わりにして進む。今のところ風は小康状態のようだが、ときおり不意に強まることもあるので油断が出来ない。口を開けるとすぐに砂が入り込むので、自然と口数が少なくなった。
あまり時間をかけると、折角ヨミに入れてもらったお茶が冷めてしまう。二人は料理人の天幕へ食器を返すと足早にもとの道を戻り始めたが、その途中でリーフは何かを見つけて立ち止まった。
「なにかしら、あれ」
「え?」
「枯れ木……じゃないよね」
そう言ってリーフが指差した先を辿ると、篝火の明かりが届くぎりぎりの辺りへ、確かに何か砂以外のものがあるのがわかった。ちらちらと光を反射している。
「危ないものじゃなさそう」
露出している部分を掴んで持ち上げると、Dのような形があらわになる。光って見えたのは胴体部分に施された金彩の一部のようだ。
「竪琴ね、弦が一本外れちゃってる。楽士さんのかしら」
「それにしては、しょぼいよ」
リーフのいう通り、あまり上等なものには見えなかった。飾りの彫り物は鑿のあとが荒っぽく残っているし、金彩も丁寧な手とはいえない。全体的に朴訥とした作りをしている。商売道具ではなく、誰かが手慰みに持ち込んだもののようだ。だからといって、捨て置くのは気が引ける。ひとまず持ち帰って、後日適当な駱駝の背にでも乗せておけば持ち主が見つけるに違いないということになった。
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