天使のガラスは雨に輝き




「『天使のなきがら』、ですか」

 恋した天使の亡骸が、女神の慈悲で、装飾として娘と添い遂げたという伝承。

 リラはワハルの言葉に目を瞬かせる。  つい今しがた聞き及んだ昔話を、ワハルが語って聞かせたのは、ただの気まぐれではない。
「ああ。今でも雨が降るたびに、ここいらの砂漠じゃあ見つかるらしいぜ」
 ワハルはそう続け、目の前の噴水に視線を落とす。正確には、噴水を彩る、周囲の装飾に。
 星をかたどった透明なガラスが、夜空を思わせる青いタイルの中にはめ込まれ、幾何学模様を作り上げている。周囲だけではなく、水底にもそれらは敷き詰められて、水がはねる度に陽光を散らし、ガラス星はあたかも、自ら輝いているように見えた。
 このガラスは、この地域特産の天然ガラス。
 名を、『天使のなきがら』。
 伝承は、この天然ガラスの名にまつわる物語なのだ。
 リラは長い指で一枚、ガラスの星をなぞる。僅かに黄味がかった、独特の風合い醸している。
「……伝承がどこまで正確な話かはわかりませんが、天然のガラスで、この透明度の高さは、なるほど奇跡的です」
 天然物は不純物が混ざり、どうしても他の色味が出てしまう物が多い。透かした向こうの色まで判別できそうな透明度を誇るこのガラスは貴重なものだと言えた。
 そんなリラとワハルの間で、腕組みをして、なるほど、とナーターンが深く頷いた。
「それで星の意匠なんですねー。ありがとうございます、勉強になりました」
 ナーターンは星読みとしての興味で、噴水のガラス星の意味を知りたがっていたのだ。ワハルの話に納得して、律儀に頭を下げる。

「そういえば、リラさんはこのガラスは買われないんですか?」
 ナーターンが首を傾げる。リラはそれなんですが、と端正な顔に少し苦い笑みを浮かべて、
「先ほど仲買人の方とと交渉したんですけれど。少々予算に合いませんでしたので、一旦お話をなかったことにしたのです」
「えー、そんなに高いんですか!」
「ふむ。ならいっそ拾いに行ってみるかい?」
「え?」
 突拍子もない誘い。問い返すのも必然だ。発案者たるワハルのその顔に、不敵な、見ようによってはあくどい笑みが浮かぶ。
「俺ぁ、こいつが直に埋もれてるのを見てみてぇのよ。雨上がりに綺麗に光るのをな。そのついでに、連れ立って行くのも良いかと思ったんだが、どうでぇ?」
 尋ねられ、リラは思案顔をする。
「それは、商人としては元手が掛からないのは喜ばしいですが……場所も分かりませんし、第一、雨が降るかどうか。明後日の朝には、隊は発つ予定ですよ?」
「降るさ」
 さも当然、と言った風にワハルは言った。声を落として続ける。
「水から生まれたジンが言うんでぇ、まぁ信用しな」
「じゃあ、場所は……」
「そりゃあお前ェの役目だぜ、ナタン」
「あれ、私も一緒に行くのですか?」
「当然! 不案内な場所へ行くのにお前ェ、星読みが居なくちゃ……」
「あ、そうそうナタン様。あの天使のお話、もう一つ言い伝えがあるのをご存知ですか?」
 リラはワハルを遮って、にこやかな笑顔をナーターンに向けた。
「このガラスを持つ者には、天使に掛けた女神様の慈悲が宿って、恋愛運が大幅に上がるそうですよ」
「恋愛運!」
 明らかにただならぬ様子で、ナーターンはリラの言葉を復唱する。そして、急にそわそわし始めた。
「測量に明るいナタン様がご一緒してくだされば、私達もとても心強いです」
「分かりました。ちょっと周辺地理を知るついでに、地元の人に聞いて来ます」
「頑張って下さい」
 リラが微笑んで手を振る。ナーターンは気合に肩を怒らせて、情報収集に旅立っていった。その一連の成り行きを、ワハルはただただ眺めていた。そしてナーターンの姿が出入り口から消え去って、ポツリと言葉を発した。
「嘘だな」
「はい」
 常と変わらぬ調子でリラは答える。
「旅行きを共にするのならば、より積極的に行動する理由があった方が、ナタン様には進んで協力して頂けると思いますし。……それに、ワハル様も道案内にと思われたからこそ、ナタン様を誘われたのだとお見受けしましたけれど?」
 リラがワハルの表情を伺えば、彼はご名答、と言って破願した。
「お前ェさん、もっと慎ましい性分かと思ってたが。どうしてなかなか、太ぇじゃねぇか」
「商人には多少なりとも、胆力は必要なのです」
 ただ、リラの気がかりと言えば、先日ナーターンが呪術師のラナーに占ってもらった時、とても悲惨な結果を引き当てていた事だったが――、今回の道行きで、その悪運が出なければ良いと、今は願うぐらいしかない。
「あん、どうしたぃ?」
「いえ、何でもありません。明日は、よろしくお願いいたします」
 ふわりと微笑んで、リラはワハルに頭を下げた。


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